2009年02月03日

グッバイガール(1978年)

 オールタイムベストの映画を挙げろと言われたら、やはり多感な高校生の頃に見た一連の映画の中から何本かを選ぶだろう。その特徴はいずれも単純なラブストーリーではなくて、非常にハートウォーミングで、かつ孤独な人生を穿つような誠実な人間味に満ちたエンディングが訪れる作品だ。以前に取り上げた「フォローミー」もそうだが、それ以外に「天国から来たチャンピオン」、それに今回の「グッバイガール」がまっさきに思いつく。どうやらこの頃から、青臭い青春ものよりも、いやに大人びた趣味だったのかもしれない。

 そのころはまだパンフレットを必ず買う習慣もなかったし、そもそも名画座2本立て興業でパンフが売られていないこともあったから、当然ながら手元のパンフの山には本作のはない。高校生の頃は監督や脚本で映画を見ることはなく、どちらかと言えばストーリーや主演の俳優で見ていた。だから戯曲家としてのニール・サイモンの名声はまったく知らずに見た。彼の脚本作品が好きだと気づいたのは、当時立て続けに彼の作品が映画化されてどれも同質の感動が得られる事に感づいたからだった。でも一番スマートな涙と笑いがあふれる作品は「グッバイガール」の他には記憶にない。

 出だしがいい。土砂降りの深夜。ポーラ(マーシャ・メイスン)と娘のルーシーが住むアパートの一室のドアの前にはずぶぬれになったエリオット(リチャード・ドレイファス)が立っている。鍵を取り出して入ろうとするとドアチェーンに阻まれる。驚いた彼は声をかけるが、居丈高な女の声で「ここはずっと私たち親子が住んでいるので、何かの間違いだ」と言い、とっとと消えるように言われる。

 追い払ったと安心したポーラに皮肉屋のルーシーが何事かと問いつめる。実はアパートの名義は別れた男のもので、数週間前に男は映画の仕事を見つけて、二人を捨てて出ていってしまった。男は俳優仲間にアパートも又貸ししていたのだ。今度は表の公衆電話から電話が入り、エリオットが「友人からもらった鍵が使えるなら、そこが彼から借りたアパートに違いない」と詰め寄る。ポーラはひるむが負けてはいない。「あなたの方があの男にだまされたのよ。ご愁傷さま」と電話を切ってしまう。

 あわてたエリオットは雨の中を通り過ぎるタクシーに向かって「両替してくれぇ」と叫ぶ。そんなことで止まってくれるタクシーがあるとも思えないが、なんともニューヨークの下町らしい洒落た光景だ。室内ではすっかり目の覚めてしまった二人が暖かい飲み物を飲みながら話している。ルーシーは母を捨てた男のひどさをあげつらいながらも「どうするの?」と母親に言う。母は「こういう時は90%は住んでる者に権利があるのよ」。そこに電話のベル。「これが残りの10%ってわけ?」と皮肉たっぷりに返すルーシーの言葉にポーラは絶句する。こんな粋な台詞の連続で、冒頭からストーリーに引き込まれてしまう。

 結局、男名義のアパートに居座る弱みから彼らは同居する事になる。しかし、エリオットが売れない役者だと知ってポーラは警戒する。彼女も名もないバックダンサーの一人で、売れないが魅力ある男を見いだしてはくっつき、やがて芽が出てきた男に捨てられる繰り返し。「グッバイガール」とは、売れだしてきた男たちが決まって彼女の元を去っていってしまうことから、誰ともなく言う陰口だった。

 彼らの同居は一筋縄では行かない。エリオットは、とっても変わった生活習慣をもつ同居人だった。朝から香をたいて瞑想にふけり、夜は寝つくまでギターをポロポロと奏でる。眠れないと苦情を言っても聞く耳を持たない。怒りがおさまらないポーラは娘に同意を求めると、ルーシーはギターの調べに気持ちよさそうに寝てしまっているおかしさ。娘の方が先に同居人を気に入ってしまったようだ。

 ポーラが強盗に洗いざらい手持ちの金を持っていかれてエリオットが「娘のために」とことわって援助をして、前衛作家の演出したオフブロードウェイの「リチャード三世」でエリオットの演技が酷評されたのを母娘が慰める頃から、ギクシャクした関係が修復されていく。

 そしてポーラの再就職が決まったお祝いにエリオットは、役者らしいとってもドラマチックでロマンティックなプレゼントを用意する。仕事から戻った彼女がルーシーの寝室をのぞくと、スヤスヤと寝入った娘の横に「お姫様にキッスをして屋上にくるように」というメッセージが残されている。屋上に行くと真っ暗だ。不安そうに声をかけると、突然ささやかな豆電球のイルミネーションが屋上を照らし出す。そして暗がりからハンフリー・ボガード風に決めたエリオットが、マッチを擦ってタバコを吹かしながら姿を現す。思わず感極まってたじろぐポーラ。二人でダンスを楽しんでいると雨が降ってくる。「このまま踊っていたいわ」というポーラに、「ピザが塗れちまう」とエリオット。あわてて階段の扉の内側にテーブルを持ち込んで、ピザとワインのとびきり”ゴージャス”で暖かなひとときを二人は過ごす。

 この作品に関しては最初から最後までシーンを語り尽くしてしまいそうになる。そろそろエンディングになだれこもう。この映画では、小道具をうまく使った見事なエンディングが用意されている。エリオットにハリウッドから映画の仕事が舞い込む。浮かれる彼にポーラもルーシーも顔を見合わせる。またしても売れだした男が自分たちの前から「グッバイ」するときが来たのだと彼女たちは思いこんでしまう。

 その様子に気づいた彼は、たったの数ヶ月行って帰ってくるんだから心配ないと説得する。でも着替えをあらかた持って旅立つ彼に「たとえ戻ってこなくても、あなたと過ごした日々は忘れないわ」と一方的にポーラから引導を渡されて、エリオットはあきれながらも旅立つ。

 そしてその夜は彼がやってきた日と同じように土砂降りの雨になる。憂鬱そうに頬杖をつくポーラとルーシーの元に電話が入る。エリオットの声で「早く支度をしろ。飛行機の出発が延期になったから二人で行こう。ルーシーは女友達に預けておいで」と、やはりやってきた日と同じくアパート前の公衆電話からかけてくる。感激するポーラは「それだけで十分。ルーシーと一緒にあなたを待ってるわ」

 「じゃあ、頼みがある。ギターを守っててくれ」

 そう、あの大事な大事なギターを置いていったのだ。「グッバイ」ではなく必ず戻ってくる証として。小道具のあまりに粋でしゃれた使い方に、見ている僕らも思わず感極まってしまう。ポーラはうれしさを伝えるようにバルコニーから身を乗り出して、持ってきたギターを掲げる。タクシーに乗ろうとしていたエリオットは、「ギターがさびちまう」と慌てる。

 マーシャ・メイスンとリチャード・ドレイファスの人情味あふれる演技と、ニール・サイモンの脚本と、ハーバート・ロスの演出と、そしてエンディングにオーバーラップする主題歌の「グッバイガール」とが、完璧にとけあったラストシーンだった。

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posted by アスラン at 19:27| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 記憶の映画を探して | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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