2009年06月22日

ダ・ヴィンチ・コード(2009年6月20日(土))

 ダン・ブラウン原作の「天使と悪魔」が映画化され、再びロバート・ラングトン役にトム・ハンクスが起用されて公開された。それに合わせるように第1作目の「ダ・ヴィンチ・コード」がテレビ放映されたので、さっそくDVDレコーダーに録画しておいた。かといって、すぐに見たくなるというほどの映画でないこともわかっているから、寝かせておいた。

 原作は2度ほど読んで、そのミステリーツアーに参加するかのようなお手軽さはよく分かっている。でも最近古本屋の105円コーナーで「天使と悪魔」上中下3巻で315円という破格のセットを購入して、なんとしてでも映画公開中に読んでしまおうと張り切って読破してしまった。なんといっても映画にあわせて増刷された文庫が書店で平積みされるのを見て、さらには電車の中でOLが明らかに新品を買って読んでいるのを見るにつけ、315円で読み切る事の優越感に浸ろうと、うきうきしながらあっという間に読み切ってしまった。その内容はと言えば、原作では第2作目である「ダ・ヴィンチ・コード」同様のお手軽ミステリーツアーそのものだった。

 この勢いで映画「ダ・ヴィンチ・コード」も観てしまおうとDVDレコーダーを再生した。だけどちょっとだけズルして早送り再生をところどころ駆使しながらの視聴だったのは作り手に申し訳ないところだ。

 ロン・ハワード監督殿。「アポロ13号」と作り上げた手並みは当時、感心はしたけれど、でもこれってドキュメンタリー映画を観た方が何倍も感動できるよなぁと思った事も確かでした。そして「ダ・ヴィンチ・コード」。これって原作読んでない人が楽しめる映画なんだろうか?そんな素朴な疑問が沸いてしまった。原作も見事に二日たらずでフランスとロンドンの名所巡りを強行し、その上で数千年におよぶ歴史ミステリーを一気に解いてしまうところが、さきほどから繰り返し協調している「お手軽な醍醐味」なのだけれど、それを映画ではさらに端折っている。

 端折り方の手際は、さすがに職人ハワードと拍手してもいいんだけれど、それにしても肝心のダ・ヴィンチの謎はなんとなく「そうだったのか」と分かる程度には説明しているとは言え、ルーブル美術館で殺された館長ソニエールが孫娘のソフィーとラングトン教授に残した謎の方は、得体の知れないCGが駆使されて、あたかも「探偵ガリレオ」の頭の中を実体化した数式のイリュージョンが飛び交うように過去と現在を飛び越えたイメージが現実と二重写しになるだけで、あれよあれよと解かれていってしまう。でも、どう考えても映画館で気楽に観ている観客はついていけないような気がする。

 それに、このいきなり名所めぐりしてラングドンやソフィーが考え出すと、かつてのテンプル騎士団や十字軍の光景が再生される映像が、なんともイメージとしては陳腐で興ざめだ。そんなにCGを駆使してしまったならば、もう頭で考える必要などないではないか。原作も確かにお手軽ではあったけれど、映画はさらにその上をいって「怠惰」を観客に無理強いすると言ってもいいのではないか。

 ところで、シリーズ第2作となった「天使と悪魔」についてピーコが語っているのをどこかで読んだが、ラングドン教授をトム・ハンクスというのはミス・キャストだと書いていた。トム・ハンクスだと年寄りくさい。もっとマッチョタイプのはずだと言うのだが、そうだろうか。ホントに原作読んだのかな。僕はハンクスは適役だと思った。ラングドンは冒険的にも女性の事についても臆病なよわっちい探偵だ。そこのユーモラスなところをハンクスはよくおさえていて好感が持てた。
posted by アスラン at 19:41| 東京 雨| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画(2000年〜現在) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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