2009年07月17日

20世紀少年 第1章 終わりの始まり(日本テレビ特別版)(2009年7月13日(月))

 日本テレビ特別版というのは、当時映画館で「第2章 最後の希望」が上映されるにあたって、特別に未公開部分の映像も加えた上で再編集したバージョンだそうだ。これを出演者の一人である生瀬勝久が案内役となって冒頭で説明してくれた。ただし、日テレはかつて宮部みゆき原作で空前のベストセラーになった「理由」を完全映画化した大林宣彦の同名の映画を、〈日テレバージョン〉と称して放映した前科がある。

 前科というのはオリジナルの良さを損ねるような、変わった演出を導入したからだ。映像に文字を吹き出しのように覆いまくり、元々の長さをざっくりとカットして、たしか寺田農に案内役をつとめさせていた。ここだ。僕が「理由(日テレバージョン)」を引き合いに出そうと思ったのは。お手軽に話を進める時に姿を現す「案内役」。もちろん過去にテレビシリーズには案内役は重要な役目を果たしてきた。ヒッチコック劇場のヒッチコック自身がそうだったし、それに倣って「世にも奇妙な物語」のタモリが、ヒッチコックになりきるかのように自らの笑いの部分を封印して恐怖とおかしみをもたらす演出は見事と言える。

 だが、「理由」で果たした寺田の役目は、第三者の立場から、当事者の視点で描かれていくオリジナル版の「理由」を手際よく端折る事にしかない。そこに「これはオリジナルとは似ても非なるものだ」とか「こんなのは映画じゃない」と映画ファンにつけ込む隙を与えた事は確かだ。今回の「20世紀少年(日テレ特別版)」も同じように端折る目的があったと言えないか。オリジナル版を見ていないからなんとも言えないのだけれど、途中途中で顔を出す案内役のナレーションで、ああ、またしても話はスルスルと先に先に横滑りしていくのだなぁと感じてしまった。

 まあ、それは置いておくにしても、ここまで原作の漫画を意識して作られていると、いったい映画化する意味はどこにあるんだろう、という気にさせられる。原作は、飲み会の帰りに気分が悪くなり途中下車した駅近くの漫画喫茶でかろうじて第1〜4巻までしか読んでいないので、今回の第1章がそれより先に進んでしまったのか、うろ覚えでよく分からない。ただし、登場する役者が原作の登場人物に印象がそっくりに作られているし、さらには動作や立ち姿までそっくりとなると、もうこれは監督のマニアックな自己満足でしかないのではないかと感じてしまった。オッチョを演じる豊川悦司のはずが、振り返って少し上方を見上げる立ち姿も顔つきも、どう考えても漫画のオッチョ以外の何者でもない。これは、ちょっと異常だ。

 心配なのは、当然ながら三部作の第3章が映画化されるときにも、「第2章(日テレバージョン)」なるものが放映されたりしないのかと。とすると、ミーハーな僕のことだ。またしても録画して寝かせて、おもむろに観てしまうのではないだろうか。でもそこに映し出されるのは、またしても原作に登場する主人公たちそのものであって、映画版「20世紀少年」を生きる役者たちではないような気がするのだ。

 さっさと原作を読んでしまえればいいのだが、今度いったいいつ漫画喫茶に立ち寄るヒマが見つかるのか、心許ない。立川図書館で借りられないものか。
posted by アスラン at 13:03| 東京 雨| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画(2000年〜現在) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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