2009年07月23日

崖の上のポニョ(2009年7月5日(日))

 最近保育園に行くと、携帯のストラップに気づいて「あっ、ポニョだ」と声を掛ける幼児が増えた。もう去年の秋からずっとつけっぱなしだったんだけどな。なにしろ息子を初めてジブリ美術館に連れて行った日に買ったストラップだもの。だけど、この現象は突然でもなんでもない。劇場公開から一年ぶりにDVDが発売になったからだ。

 我が家でもママがコッソリとアマゾンで予約購入した。なんでも注文者が増えれば増えるほど割引率がよくなる買い方を選択したので3800円になったと自慢げだ。理屈はよくわからないが、ほめて欲しそうなので「ママはエラい!」とほめた。

 こう書くと、我が家では息子のために「ポニョ」のDVDを買ったと思われるかもしれないが、実は昨年の夏に家族三人で映画館に足を運んでいる。だから、これは僕ら三人が観るために買ったのだ。

 なぜか最近は宮崎駿作品が公開される度に「本当に面白いか否か」と言う議論があちらこちらでやかましい。どうやら面白いに決まっていると安心して見にくる観客層に対して、かつてのような切れ味はこの巨匠からはとうに失われているのだと、権威をやたら失墜させたがる訳知り顔の連中がことさらに「良くない」と騒ぎ立てるようだ。

 こういう時に僕は「ドクターペッパーの法則」というのを引き合いに出すことにしている。まずい、まずいという世間の評判を真に受けると、自分の好きなモノに出会いそこねて後悔するという法則だ。もちろん僕はドクターペッパーも好きだし、「崖の上のポニョ」も好きだ。少なくとも我が家でも全員がポニョに◎をつけた。だからこそ、DVD発売を楽しみにしてきた。

 もともと映画館で観る映画とは言ってもアニメと実写とでは評価軸が異なる。一律の映画評はできないが、僕は父親の立場からも、映画好きの立場からも、ポニョを評価している。その点で言えば、ポニョはまず親子連れが楽しめる映画だ。その点については過去の宮崎アニメを振り返っても、これほど子供の視点にたった作品はないのではないかと思うくらいだ。

 確かに「となりのトトロ」があるではないかと言う意見はすぐに聞こえてきそうだが、あれは昭和30年代の親たちのレトロな郷愁がなければ、あれほどの国民的作品に化けることはなかったはずだ。「トトロ」は今観てもいつ観ても楽しめる作品だが、それは「親が観ても」というよりは「親が観ると(楽しい)」に支えられている。

 確かに宮崎作品は大人の鑑賞に耐えるアニメであり、「ナウシカ」がヒットして以降、そうであることを要求されつづけた。「もののけ姫」はアニメが実写映画と対等に評価される事を作家自身が望んだ水準の作品であるが、そうであればこそ「壮大なる失敗作」と言っていい。もちろん映画としては、である。

 その後、一度は筆を折るつもりだった宮崎駿が自ら「枯れた」とうそぶいた言葉を撤回した「千と千尋の神隠し」は、自由奔放にアニメーターとしての力量を惜しげもなく出した作品となった。これは日本映画史上空前の大ヒットとなったが、日本映画史に正当に位置付けられる映画でもあった。

 「ハウルの動く城」がどのような経緯で、原作ある童話から宮崎アニメへ形づくられたのかまったく知らないが、いまさら原作の力をかりる事も原作のイメージ通りに描く事も潔くしない巨匠が次に選んだのは「ポニョ」と言う可愛いのか可愛くないのか判然としない魚の女の子だった。この意表を突いたフォルムが発表されてから、どういう内容のものになるのかこれほどよく分からない宮崎アニメも近年めずらしい。

 その得体のしれなさが反映したのか、アニメを観た人の意見が二分される。いや概ね好評だが、「千と千尋」ほどには映画史上を賑わす作品とはならなかった。それでも充分昨年の日本映画の興行収入に貢献したのだけれど。

 実はこんな事をだらだら書きたいわけではない。「ポニョ」は僕にとってはおそらく宮崎アニメで2番目に好きな作品に躍り出た。それだけを言えばいいことだ。一番目は「天空の城ラピュタ」。これがなければ宮崎アニメの本領である動きのある画期的なアニメは世に認められなかったはずだ。「ポニョ」以前の2位は「千と千尋の神隠し」だった。これは映画館で観た後に、その圧倒的なイメージの横溢にため息が出てしまったほどだ。だが、隣の席の女子高生2名が〈圧倒的なイメージ〉をもてあましてしまった様子なのは確かだった。

 そして昨年「ポニョ」と出会った。これは僕の映画人生の中で「かけがえのない宝物」だ。たぶん同じクリエイターとして意識してきたであろう宮崎駿にとっての黒澤明監督が晩年に「夢」を作ったように、「ポニョ」は宮崎駿の「夢」を形にした作品だったように思う。それはまるで短編集のように章立てされ、「夢」のオムニバスのようにキラキラとした独立したお話のように進行する。そして、それはたぶんモチーフの一端を担っている「崖の上に住んでいる宗助」にポニョが会いに行くという漱石作品へのオマージュさえも含まれている。

 淀川さんが映画を観るとき、目で分かる映画が良い映画だと教えてくれた。「ポニョ」は冒頭から豊饒で色遣いが過剰な海の中のシーンから始まる。それは、これから始まるささやかな物語が〈僕のごく私的な想像の世界〉だと作者が告白している事を意味している。あり得ないほど過剰で、宮崎作品にしては精緻さを欠いた描き込みは、それまで捨て去る事がどうしてもできなかった「現実感(リアルさ)への配慮」を捨て去る事の宣言でもあった。だから、ここを読み違えた人たちは必ず、後段の津波の上を女の子の姿になったポニョが走り回るシーンに躓くだろう。

 僕としては何も問題はない。強いて欠点をあげつらうとすれば、ポニョと宗助がママを探しにでかけ、さらにポニョが力尽きて眠りこけてしまってから、最後にポニョが宗助と暮らすことが決まるエンディングのワンシーンまでの間に、作者がどう物語を繋げていくのか、どう絵を動かしていくべきなのかを、おそらく見失ってなんどもなんども考えあぐねた事が透けて見えてしまう点だろうか。事実、NHKで放映されたメーキングのドキュメントで宮崎駿はなんどもエンディングに至るまでの下絵を描き直している。

 それは欠点と言えば欠点だろうが、僕にはオムニバス構成になっているこの作品の単に最後の短編が少々作者の息づかいが聞こえてくるだけで、全体としての楽しさ・すばらしさになんの変わりはないと言いたい。
posted by アスラン at 13:22| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画(2000年〜現在) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/124093656
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。