2012年06月15日

森崎書店の日々(2012/6/8ツタヤでレンタル)

 TSUTAYAの会員証の更新がやってきた。悩む。新作を含めてDVD一枚が無料レンタルできるからだ。何を悩んでいるかというと、無料で借りられるならば日頃借りない新作をぜひ借りようと決めているからだ。ところが、いざ借りようと思っても借りる当てがない。なにしろ映画を見なくなって、はや10年になる。今の映画状況がどうなっているのかわからない。いわば土地勘ならぬ”映画勘”が無くなってしまったのだ。もちろんハリウッド映画のビッグタイトルを選べれば何の苦労もないのだけれど、映画館通いをしていたときからして、大味な大作は夏休みとか正月休みに観る映画がどうしても見つからないときの控えにすぎなかった。無料レンタルなのに、やっぱり手が伸びない。

 やはり安全パイとして邦画をチョイスすることにした。今や洋画が人気で邦画が低迷するといういびつな状況はなくなり、映画の本数を見る限りは邦画は人気を取り戻している。だからといって映画業界が安泰なわけではないだろう。すでに弱小映画館は青息吐息の状態だ。あと十年もすれば、ゆっくりと映画館で映画を観る日々を取り戻せるかと思ったら、そのときは肝心の映画館も映写システムも根こそぎ入れ替わっているという事になりそうだ。

 それはともかくとして、全国でロードショーするような大作ではなく、気楽に観られて心にひっかかりが残るやつがいい。そんな選択肢で選ぶとそれなりに見つかるのだが、やはり失われた10年は大きい。どれが良さそうか、その1本が決められない。悩みに悩んだすえ、この作品を手に取った。本好きの常として原作は読書候補リストに挙げておいてはあるが読んではいない。今回観ておもしろかったら本も読もうという腹づもりだ。いや、面白くなくても原作は面白いのかもしれないと思って、やっぱり読みそうだ。それでもいい。

 主人公の女性・貴子はデザイン学校を卒業してOL勤め。彼氏もいるが、一年半つきあったところで「俺、結婚するから」と言われてばっさりと関係を切られてしまう。自分としては彼氏・彼女の関係だと思っていたのに男の方は単なる遊び相手に考えていた。「結婚する」と宣言しておきながら「別れよう」の一言もなく、「今夜どうする?」とさらなる関係をせまる男も男だが、言い返せない女も女だ。つまりは、そんな「自分に自信が持てない女性」が、この映画のヒロインだ。

 こういう関係が今の若い世代にとってリアルなのか正直わからない。一言で言えば「悪い男」にひっかかっただけだ。貴子がそこから立ち直れない理由も本当のところは理解しにくい。そういう打たれ弱い人間なのだから仕方ない。相手の男に怒りをぶつける事もできずに、身を引くように会社まで辞めてしまう。やれやれ…。

 そこに助け船を出してくれるのが、小さな古書店を経営している叔父だ。叔父の古本屋の二階に間借りさせてもらい、叔父が店を空ける時だけ店番をする。そんな気楽な日常を、貴子の母である姉に頼まれた叔父は貴子に提供する。貴子は叔父の行為に感謝する余裕もない。親戚らしきつきあいもそれほど交わしてこなかったのに、何故今になってと疎ましく思っている。しかも古本屋の二階はほとんどが古本の山で埋もれているのだ。

 やがて、本好きの常連さん、本屋街の中の喫茶店の人びとたちの気心に触れて、本でも読んでみようかなぁという気分になる。それまであまり本を読んでこなかった彼女にとって、傍らの山から無作為に選んだ古本は、彼女の心のぽっかりと空いたすき間をひたひたと埋めていく。

 ただし、本が虐げられ傷ついた心を癒やす特効薬になってくれるわけではない。本の効き目はじわじわと人生の長さと同じぐらいのテンポで効いてくるに過ぎない。長い目で見れば効き目を実感できるかもしれないが、貴子にとって必要なのは、今まさに自分を救ってくれる「何か」なのだ。コインランドリーでの彼氏に抱かれる白昼夢は忘れようとして忘れられない痛みであるとともに、取り戻せるなら取り戻したい救いでもあるのか。

 けっして出来がいい映画ではない。叔父が何に心を痛めて生きてきたのか、それをどう乗り越えてきたのかも最後まで描かれないにも関わらず、姪の貴子のことを「僕の天使なんだ」と言い切るセリフに込められたものを、この映画では何一つ描ききってはいないからだ。そして貴子の方も、どう立ち直っていくのか、そのためにどう自分に向き合っていくのかが、最後までよくわからない。前述したコインランドリーでの妄想シーンは、貴子が自分と向き合う問題の表れではあるがあまり分かりやすくはない。男にもてあそばれたという事に傷ついているだけなのか、本当ならば寄りを戻したいという未練なのか。おそらくは両方なのだと言いたい演出なのだとは思うが、そもそもこの映画には性の問題を本格的に持ち込む切り口がないので、最後まであのシーンだけが浮いたままで終わってしまう。

 僕は神保町という街をよく知っているからあの街にひとかたならぬ思いはあるが、あの本屋街を貴子にとっての”癒しの場”として描く事にはちょっと疑問を感じた。そもそも原作ではどう描かれているのかはわからないが、映画の中のヒロインは〈森崎書店の日々〉でどれだけ本が好きになったのだろう。そんなことも、実のところ映画ではよくわからない。貴子や叔父や神保町という街を描く一方で、同時に本のもつ魅力を描いていく事がもうひとつの大切な主題ではなかったのだろうか。もしそうだとするならば、この映画がそれに成功しているとはいいがたい。
posted by アスラン at 12:57| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 記憶の映画を探して | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/275236275
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。