2012年08月20日

「館長 庵野秀明 特撮博物館」に行く(その2)

 入り口をとおって白い壁にはさまれた細い通路を歩いていくと、東京タワーの模型が目に入ってくる。その上方には公開当時の「モスラ」の大ポスターだ。そう、勘違いされやすいが、東京タワーを最初に破壊したのはゴジラではなくてモスラだ。正確にはモスラの幼虫が、はからずも成虫になるためのさなぎを作るためには東京タワーは絶好のやどり木に見えてしまったようだ。

 何はなくとも東宝の、円谷英二らの、日本の特撮の歴史を思い浮かべる上で、東京タワーほどシンボリックな存在はない。東京スカイツリーができてしまった今となっては、東京タワーはしずしずと日本一の座を譲り渡してしまったかのようであるけれども、昭和の戦後日本の象徴として、一身に子供たちの夢を引き受けてきたのが東京タワーだった。どこぞの知事が「嫌いだ」と言ったところで、東京タワーがかつての僕ら子供の「夢」をはぐくんでくれた事はまぎれもない事実なのだ。

 そこから左手に会場がひらけると、数々のフィギュアが、手にとれそうなほど無造作にテーブルの上に載せられて展示されている。かつては世界的なマーケットを形成していたという、日本が誇る特撮陣が生み出した空想科学の産物たち。海底軍艦「轟天号」や、ゴジラを迎え撃つ自衛隊のメーサー砲を搭載した戦闘車両などが楽しい。映画では凶悪そのものだったメカゴジラの着ぐるみも僕らを暖かく迎えてくれる。明らかに父親の方が見たくて息子を連れてきたパターンの親子連れがうようよいる。息子が言う。「メカゴジラだ!でもちょっと形が違うなぁ」。そうだよ、だって1974年に上映された初代のメカゴジラだもの。

 轟天号の他にも「宇宙大戦争」や「地球防衛軍」で使われたロケットや兵器などに見ほれてしまって、なかなか最初の部屋を立ち去りがたくなった。なにしろ時間はたっぷりあるのだ。1つ1つの展示には庵野館長の涙ぐましいコメントが付されていて、大きいと思った轟天号の模型には「本当はもっと大きな縮尺(の模型)が存在したんですが…残念です」のように、なんとも庵野さんらしからぬ素直な感想が吐露されている。

 今やCG全盛となり、手作り感満載のミニチュアや、人が入っていると想像のつく着ぐるみから作られた特撮は見向きもされない時代になった。かつての「世界に誇った技術」も、存在証明ごと消えていこうとしている。ここに集められた〈存在証明〉の数々は、タイトルとともに「個人蔵」と書かれているものがほとんどだ。庵野さんの「残念です」というコメントにこめられた思いが痛いほど伝わってくる。

 例えば次のコーナーでは、ウルトラシリーズの戦闘機の数々を集めてあるのだけれど、ウルトラホーク1号はあるのに2号も3号も見当たらない。シリーズの中でもSF色が強かった「ウルトラセブン」の超兵器すらすべてを展示できないのか。いやいや、「帰ってきたウルトラマン」のマットアローやマットジャイロはあるし、なにより「初代ウルトラマン」のジェットビートルとビートルVTOLなどが揃っているではないか。こんな時代であるのに、これだけのものを集めた庵野さんには内心忸怩たるものがあるはずだ。しかし、一ファンの立場になってみれば、「くやしい」「残念です」という一言がつい口をついてしまうのだろう。

 そうそう、少しばかり先走ってしまった。そうは言っても、あの「飛べ!マイティジャック」のマイティ号のかなり大きな模型が展示されているのには感動してしまった。ウルトラマンやセブンとは違って大人向けの時間帯に放映されたが故に、なかなか本放送を観る事はかなわなかった。だからいまだにストーリーそのものはよくわかっていない。ただ、海底のドッグにあるマイティ号が発進する際のダイナミックな特撮はいまだに忘れられない。あのドッグに停泊するマイティ号は遠近法を極端にして大きく見せたものだ。ドッグに海水が注入され、水面が波立つ。そこからマイティ号は潜水艇としてドッグを離れ、海面から空へと飛び出していく。おそらく、あの宇宙戦艦ヤマトの初回の発信シーンの感動はマイティ号によって先取りされていたとも言える。

 展示には、特撮をささえてきた「すごい人」(庵野)たちのコーナーが用意されている。「すごい人」の掉尾を飾るのは円谷英二をおいていないが、僕がまっさきに感銘を受けたのは成田亨氏のコーナーだ。彼の役割は造形美術だ。言わずと知れたウルトラマン、ウルトラセブンの造形はもちろんのこと、相手役の怪獣や宇宙人の多くを生み出した、掛け値なしに「すごい人」だ。いまだに愛されるケムール人、ガラモン、レッドキング、ゴモラ、キングジョーなどなど。人間に恐怖をもたらす存在でありながら、美しくてどこか懐かしい。一つ一つの意匠に成田さんのセンスがどうしようもなく表れている。

 そんな達人はいまだに存命で、CG全盛・アニメ全盛の世の中に対して厳しい眼差しを向けている。リアリティを追求することが特撮の役割だとするならば、円谷英二をパイオニアとする手作りの「特撮」は、CGなどの最新のデジタル技術に勝てない。しかし特撮には人間のイマジネーションを喚起する役割があったはずだ。そこにはさまざまな人間のアイディアと創意工夫が重なることによって、子供や大人がファンタジーを幻視することができた。いまのように隅から隅までCGで埋め尽くされた映像では、観る者のイマジネーションは奪われたままだ。と、成田さんは厳しく批判する。

 僕は成田さんの言葉の前で直立する。ただただ甘んじて受け止めよう。庵野さんもそうだろう。だが、庵野さんや樋口さんが成田さんたち「すごい人」の理念を受け止めたがゆえに、エヴァが生まれ、平成ガメラが生まれたはずだ。これはデジタルの世界においても、まだまだ人間を信じていいということの証ではないだろうか。先達の言葉は正しく受け止めるとして、僕ら後身は前に進むしかない。さりとて、ここ特撮博物館で、失われる直前の最後の輝きを、みなで見つめるべきだろう。
posted by アスラン at 06:57| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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