2005年09月30日

「空気のなくなる日」(1949年)と「空気がなくなる日」

 前から気になっていた事がある。それは

 僕の映画好きの原点は何か?

という事だ。

 昔から映画が好きだった。それは生まれてからテレビを日がな見て育ったテレビっ子であるという事と、実は同義だ。何を今さら、テレビなら今の子供も生まれたときから見ているじゃないか、と若い世代には言われそうだが、僕らの時はテレビしかなかった。

 今なら、やれビデオだシネコンだプレステだインターネットだipodだと何でもありの様相を呈していて、子供達の楽しみ方も多様性を極めている。しかもその楽しみ方はマスメディアを背景に抱えた楽しみ方で、日本中いや世界中至る所で同時に似たような事を楽しみ似たような情報を発信している世界だ。

 しかし僕らの上の世代までは、それこそテレビも一部の富裕層のステイタスに過ぎなかったし、レコード(アナログディスク)はあってもテープレコーダーは業務用以外は一部マニアにしかいき渡らない。そもそもステレオさえも高級品という時代だった。

 僕が生まれた数年後からカラー放送が始まるテレビは、いまだ草創期ののどかさを残していて、番組表にわざわざ「カラー」という文字が誇らしげに入っていた。ほとんどが白黒放送だったからだ。さらに遡ると、深夜どころか昼間の時簡帯でも番組が埋まっていないところがあってその間は放送休止。もちろん深夜放送が開拓されるようになるのはずっとずっと後だ。

 そして僕が物心着く頃。幼稚園の頃にウルトラQ、ウルトラマンが始まり、小学校にあがる頃には少なくとも昼間やゴールデンタイムに番組が埋まってないというのどかさはなくなってきた。ようやくテレビ時代が成熟してきた。そんな少年期を過ごした僕らにはテレビはそれこそ家族みんなで見るものであり、テレビ一台を家族がみんなが共有するものであり、そして子供の僕にとっては隅から隅まで朝から晩まで見続けるものだったのだ。

 アニメという言葉はまだなく、テレビの漫画は「伊賀の影丸」や「魔法使いサリー」「オオカミ少年ケン」「ガボテン島」などが繰り返し繰り返し再放送されるほど日本のアニメは手薄で、それを補うのはアメリカの良質なアニメだった。「シャザーン」「ゴームズ」「キングコング」「スーパースリー」「シンドバッド」「親指トム」そして「チキチキマシン猛レース」などがとにかくかっこよかった時代だ。赤塚不二夫の「天才バカボン」や「もーれつア太郎」が席巻するのはもう少し後だ。

 そして映画の事情も同様だった。子供向けのアニメは少ない分、テレビで見られる映画も大部分が大人向けのものだった。特に日曜ともなると、必ず東映の時代劇か任侠物か戦争物が放映されていて父が好んでみた眠狂四郎だとか座頭市だとか陸軍中野学校などなどは、その後僕の映画好きの素地を作って行くことになる。

 さて、ちょっと先走りすぎた。当時映画とはテレビで見るものだった。ビデオもない時代、しかも映画館においそれと行くわけにはいかない子供にとってはテレビから流れる映画がほとんどだった。

 それ以外にも、学校の講堂で時折短編映画が上映されたり、「親と子の映画を見る会」と称して月に一度だったか土曜日に区民会館で上映される映画、そして夏休みに校庭や空き地で催された納涼映画会などがあった。

 『ニュー・シネマ・パラダイス』や『ミツバチのささやき』などの映画でも描かれたように、屋外で上映される映画には子供たちの目を輝かせ、大人達の熱狂を誘う怪しくて素朴な「何か」に満ちていた。

 これらまだ書き尽くせない体験と時代の雰囲気の中に僕の映画の原点があるはずだ。そこで僕はここから始めようと思う。「大いなる遡行」とは逆向きに、つまりは時代の流れに逆らわずに現在へ現在へとひたすら漕ぎ出すのだ。題して「僕のニュー・シネマ・パラダイス」。

 前置きが長くなったが、まず最初に見た映画をとりあげたい、と言いたいところだがそんな記憶は残っていない。淀川さんは3歳の頃に初めて見た映画の事細かなシーンを記憶していたが、僕にはそんな芸当はできない。

 ただテレビで見たのではないドラマらしいドラマを描いた初めての映画の事はよく覚えている。それが「空気のなくなる日」(1949年)だ。前に書いた区民会館の「親と子の映画を見る会」で母と観た記憶がある。その映画の詳細については最近までよく分からなかった。ところがちょうど今、「戦後60年 日本短編映画のたどった道 ショートフィルムの60年」という企画が世田谷のトリウッドという映画館で開催中だと偶然知って、その上映作品の中に「空気のなくなる日」が含まれていて思わず目が離せなくなった。
 
プログラム5 - 児童劇映画の世界−学校の講堂で観たんです-1 51分
「空気のなくなる日」1949年、監督:伊東寿恵男、日本映画社、51分 
ハレー彗星の接近で地球から空気が吸い取られるという噂によって翻弄される村人達
を描く、児童劇映画の古典。マニアの間では「幻の日本SF映画」として名高い。学校
の校庭で催された<納涼映画会>で、この作品を観た子供は多いはずでは? 原作
は、富山の農民作家、岩倉政治の児童文学。


 これによると作成年が1949年だそうだ。僕が観たのは低学年の頃だから1966年は過ぎていたはずだが、どうりで古臭いと思った。終戦から4年後に撮られている。しかし別のサイトで確認したところでは公開年は1954年になっている。短編映画というジャンルになっているのも初めて知った。商業映画ではなかったわけだ。なるほどキネマ旬報のサイトで検索しても見つからない理由がようやく分かった。

 原作がある事も知らなかった。原作は「空気がなくなる日」で映画とは一字違い。「が」を何故「は」にしたのか意図が分からないが、ひょっとしたら単なる勘違いだったのかもしれない。この児童文学が戦前のものか戦後のものかはどうしても確認できなかった。当時はかなりSFチックなユーモア小説として読まれたようだ。

 内容はさきほどの紹介文に書かれているとおりだ。ハレー彗星によって空気がなくなるというデマが流れたのは事実だそうで、それをどうしたら回避できるかをおもしろおかしく描いていた。僕が特に記憶しているのは、欲深な自転車屋がタイヤのチューブを片っ端からふくらませて、大きな釜の中に入ってチューブの中の空気を吸って彗星をやり過ごそうとするシーンだ。自転車屋を花沢徳衛が演じていたとは覚えてなかった。欲深というのは、チューブがいっぱいありながら村人の誰にも提供しなかった事からも子供心によく分かった。もちろん何事もなく彗星大接近は終わりを告げるのだが、いずれ自転車屋の欲深がたしなめられる結末になっていたと思うのだが、そこまでの記憶はない。

 今回の上映が観られれば本当にうれしいのだが、その暇はなさそうだ。せめて原作があるというならば読んでみたい。ひょっとしたらもっと鮮明な映画の記憶がよみがえるかもしれない。
posted by アスラン at 02:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 記憶の映画を探して | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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