2005年11月09日

大林宣彦「理由」日テレバージョンの不思議

 実はちょっと楽しみにしてました。ちゃんとDVDレコーダーで予約録画してたし。でも最初の方をちょっと見て唖然。これって本当に大林宣彦監督の「理由」ですか?

 この言わずとしれた宮部みゆき原作の問題作を圧倒的な力業で見事に再構成したのが大林監督の「理由」だった。もちろん日テレバージョンではない。WOWOWで最初に放映された時のバージョンの事だ。この映画は映画館で上映されるために作られたものではなくWOWOWが制作してWOWOWで放映された映画だった。

 もう一年前ぐらいになるだろうか。あの「理由」が大林監督の手によってどんな風に再創造されるのか楽しみにしていた。話題となったのは出演者全員がノーメークで化粧を落として素の表情を生かすことでドキュメンタリー性を強く打ち出すという日本映画としては前代未聞の手法だった。

 元々宮部の原作が既に終わっている事件を再構成していくというルポルタージュ形式をとっているために、関係者のエモーションは極力抑えられ事件全体から立ちのぼってくる社会性や人間関係の複雑さがひときわ際だって見えた。その原作の勘所を間違いなく大林はつかまえていて、俳優が演じるエモーションとしてのドラマを極力排除するためにノーメークという方法を選んだ。だからこれをノーメークという一種のメークととらえると本質を見誤る。大林は事件そのものの不気味さ、社会の歪みにひときわリアリティを与えるために逆に役者の演じるドラマを封じたのだ。

 だが、今回まだ全貌は見てないが一部を見ただけで、日テレバージョンと称する映画はオリジナルの大林作品とは似ても似つかぬものになっている。画面をおおう字幕の数々。上部に扇情的な見出しが付き、登場人物、場所、建物、時間のいちいちにネームが入る。さらにはご丁寧に登場人物がしゃべっている会話に現れる人物の名前も画面にかぶさり、さらにさらに会話の要約・要点が字幕としてインポーズされる。

 この字幕の過剰さは一体なんなのだろう。オリジナルの映画は原作同様登場人物がかなりの数にのぼるが決してストーリーを追うのが難しい作品ではない。大林監督はこの手の登場人物が多い映画作りに慣れているため、本当に見事な手際であの原作のシチュエーションをコンパクトに映画の中に再現している。ではそのままでいけないそれこそ「理由」とは何だったのだろう?

 答はオリジナルの160分という上映時間の長さにあると思われる。これはテレビの2時間ドラマ枠にはとうていおさまらない。2時間ドラマならばせいぜい正味100分程度が限度だ。とすると一時間分を編集でカットしなければならない。そのための苦肉の策が、新たなシーンの追加とさきほど説明した過剰な字幕の数々というわけだ。

 しかしそのおかげで、元々の映画のもつ登場人物のエモーションの抑制は扇情的な字幕の数々によりだいなしとなる。文字通り、文字が何事かを語り出すだすのだ。それは決して作品をわかりやすくする方向になっていないだけでなく、かえって元々の映画のドラマの進行を断ち切ってしまっている。何故こんな事をしなければならなかったのだろう。

 昔、黒澤明は撮り終えた「白痴」が5時間近くの長さになったため映画会社は黒澤に編集を命じた。黒澤は「切るならフィルムを縦に切れ」と声を荒げて映画会社を非難した。「白痴」のオリジナル版はもはやこの世に存在しない。大林オリジナル版はもちろん存在する。DVDで見ることもできるだろう。でもこの日テレバージョンを見てしまった人とオリジナル版を見た人とは同じ映画を見たと語り合う事はできない。オリジナル版がいいだけに悔やまれる
posted by アスラン at 03:55| Comment(3) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
アスランさん、初めまして、やまももと申します。

 私も大林宣彦監督の「理由」の日テレバージョンを観て首をかしげたものです。アスランさんは、そのことについてとても的確な批評を書いておられ、大いにうなずき敬服させられました。

 それで、アスランさんのこの優れたコメントをつぎのところに転載させていただきたいと思うのですが、ご了承していただけないでしょうか。
    ↓
http://homepage1.nifty.com/yamamomo/eizouriyuu.htm

 突然のお願いで大変恐縮ですが、このコメント欄でお返事をいただけたらありがたいと思います。どうかよろしくお願いいたします。

Posted by やまもも at 2005年11月20日 10:40
やまももさん、コメントどうもありがとう。

 転載の件、了解しました。どうぞお使いください。ただ僕はあくまで日テレバージョンを一部だけしか見ていないので、日テレバージョンの方を不当におとしめているのではないかという危惧だけは抱えています。

 実はこの週末、冒頭のシーンを見てちょっと日テレバージョンの評価を前向きに変えるべきかなという気がしてきました。もちろん映画というメディアというよりテレビドラマのそれにふさわしいという意味です。

 もしかしたら斬新な試みというありきたりな言い方になるかもしれませんが、また全部みた際にあらためて意見を書くつもりです。
Posted by アスラン at 2005年11月21日 04:42
アスランさん、こんばんは、やまももです。

 大林宣彦監督の日テレバージョン「理由」のご書評の転載の件、快くご承諾くださり、心からお礼申し上げます。

 それで早速、つぎのところに転載させていただきました。
  ↓
 http://homepage1.nifty.com/yamamomo/eizouriyuu.htm

 なお、「また全部みた際にあらためて意見を書くつもりです」と書いておられますね。そのときはまた転載させていただいたご書評をご指示に従いまして修正させていただきたいと思っておりますので、いつでもお申し出下さい。すぐに対応したいと思っております。

 これをご縁に今後ともよろしくお願いいたします。 
Posted by やまもも at 2005年11月21日 19:47
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日テレバージョン「理由」についてのアスランさんのご書評
Excerpt: アスランさん、こんばんは、やまももです。 アスランさんがご自身運営のブログ「大いなる遡行(アスランの映画クロニクル)」にお載せになった大林宣彦監督の日テレバージョン「理由」についてのご書評、とても的確..
Weblog: ポンコツ山のタヌキの便り
Tracked: 2005-11-21 20:09
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