2013年05月31日

銀座テアトルシネマ、ゆく。

 良質な映画を銀座のはずれから提供し続けてきて、まるで同館にある(あった)劇場と同じような慎み深さでひっそりと華開いたミニシアター・銀座テアトルシネマ(旧・銀座テアトル西友)が、自らの生を全うしたかのようにひっそりと僕らと別れを告げる。

 銀座でミニシアターというと、まっさきにシャンテシネが思い浮かぶ。あそこで1990年から2000年の間に世界中の映画を見せてもらった。配給力が勝るからだろうか、豪腕のシャンテシネが公開した数々の映画はどれもこれも名だたる名作にのし上がった。しかしテアトル西友の前途は多難だった(ように思う)。なにしろ公開場所が有楽町近くではなく、僕ら映画フリークなどもシャンテシネやみゆき座やスバル座などで映画を一本みて、京橋近くのテアトル西友や歌舞伎座の向こうにあった松竹セントラルなどに遠征するのに骨が折れた。

 ただし日比谷(有楽町)に集中した映画館の喧噪から離れて、穴場的な立ち位置で落ち着いて上質の映画を見られるという雰囲気は悪くはなかった。あの頃のミニシアターに共通で、飲食に関してはひどく冷淡なのでロビーに用意された自動販売機がひどく物足りなかった記憶があった。それとは対照的に心遣いに独特なものが感じられたのは、立ち見客用に通路で腰掛けるためのクッションとか膝掛けを貸してくれたはずだ。僕は最前列中央の定位置を確保するのが常だったのでお世話になった事はなかったが、優しい映画館だなぁと思った。

 まあ、なぜそんな気遣いが必要だったかと言えば、時に大当たりする映画がかかるからだろうが、北野武の「HANA−BI」がペネチアで金獅子賞をとって凱旋興行となった時にはさぞかし混むだろうと心配して30分前に並ぶつもりで到着したらそうでもなくてホッとするとともに残念だった事を妙に覚えている。

 でも僕にとってのテアトルシネマ(テアトル西友)というのは、なんといってもひと夏の恋人を見つけたかのような経験、ウォン・カーウァイの「恋する惑星」との衝撃的な出会いを与えてくれた事につきるような気がする。1995年7月30日(日)、銀座マリオンの映画館(「丸の内ピカデリー1(*)」)でロン・ハワード監督の鳴り物入りの映画「アポロ13」を見た。ちょっと出足が遅れたのと夏休みということもあって立ち見を承知で入った。お立ち見になりますと言われても、一人ならなんとかなるだろうと入ったのだが、そのときは本当に立ち見で、映画館の側面の壁にもたれながら見たが、正直こんなCG優位のドラマを見させられるよりは、リアルタイムでテレビから流れたドキュメントの方が何十倍も感動させられたと白けていた。

 口直しになるかどうか、まったく期待してなかっただけに、カーウァイ監督のドラマの文法を無視したかのような若い男女たちの爽快な恋愛オムニバスにはまってしまった。この夏はこれで決まりでしょ。そう、思ったからこそ、夏休みのなんの予定もなく無為に過ごすことが許されたあの日々に、5回も連続して同じ映画を見て、フェイ・ウォンの透き通った歌声と、彼女の演技ならぬ笑顔を見に通い詰めたのだった。

今はカンヌ映画祭の審査員に収まっている河瀬直美監督がうみだした繊細で淡々と描かれた家族の物語「萌の朱雀」を見たのもここだった。

そしておそらく最後にみたのは2000年4月だと思うがアルモドバルの名作「オール・アバウト・マイ・マザー」だった。これは見終わった時に、名匠アンゲロプロス監督の「こうのとり、たちずさんで」に匹敵するかのような人間たちの物語だなぁと、温かな気分で帰るところだった。同じ狭いエレベーターに乗り合わせた大学生ぐらいの女子数人が不可解な表情で、そのうち一人が「おすぎにだまされたねぇ」と言いつつ、みんながどっと賛同していたのが印象的だった。当時おすぎがこの映画を大絶賛していてテレビでもCMで連呼していたのだった。僕は彼女たちには20年ぐらい早かったのかもしれないなぁと思いつつ、残念ではあるが、映画とはそういうものでもあると思った。もちろん、僕はおすぎの意見に異論はない。これがテアトルシネマが僕に与えてくれた最後の贈り物だったと思えば、どれだけ感謝してもあまりある映画館だった。
ありがとう。

1995年1月16日(月) 「アデルの恋の物語」(銀座テアトル西友)
1995年5月21日(日) 「白い馬」(銀座テアトル西友)
1995年7月30日(日) 「恋する惑星」(銀座テアトル西友)/「アポロ13」(丸の内ピカデリー1(*))
1995年8月6日(日) 「恋する惑星」(銀座テアトル西友)
1995年8月9日(水) 「恋する惑星」(銀座テアトル西友)/「ウォーターワールド」(日本劇場(*))
1995年8月12日(土) 「恋する惑星」(銀座テアトル西友)/「EAST MEETS WEST」(松竹セントラル)
1995年8月16日(水) 「恋する惑星」(銀座テアトル西友)
1995年8月19日(土) 「欲望の翼」(銀座テアトル西友)
1995年9月7日(木) 「8月の約束」(銀座テアトル西友)[ナイトショー]
1996年11月3日(月)「萌の朱雀」(銀座テアトル西友)
1998年10月11日(日) 「アイス・ストーム」(銀座テアトル西友)
1998年7月28日(火) 「ボンベイ」(銀座テアトル西友)
1998年7月12日(日) 「ビヨンド・サイレンス」(銀座テアトル西友)
1998年1月25日(日) 「HANA-BI」(銀座テアトル西友)
1999年3月21日(日) 「ガッジョ・ディーロ」(テアトル西友)/「ガールズナイト」(シネスイッチ銀座)
1999年4月3日(日) 「フェアリーテイル」(銀座テアトル西友)
1999年6月13日(日) 「メイド・イン・ホンコン」(銀座テアトル西友)
1999年8月11日(水) 「スカートの翼ひろげて」(銀座テアトル西友)/「運動靴と赤い金魚」(シネスイッチ銀座)
1999年10月?日 「ウェイクアップ!ネッド」(銀座テアトル西友)/「秘密」(日劇東宝(*))
2000年4月?日 「オール・アバウト・マイ・マザー」(銀座テアトル西友)


(注)本文の*印の上映館は、チャッPさんからの情報に基づいて修正しました。チャッPさん、ありがとうございます。
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2012年08月27日

「館長 庵野秀明 特撮博物館」に行く(その4)

 では、あれを見に行きますか。上階から見おろしているミニチュアセットの事だ。下に降りたら、もう夢の場所は終わりを告げるとばかり思い込んで階段を降りると、もうひと終盤が残されていた。東宝の倉庫を思わせる時代がかった扉から中に入ると、出番を終えて眠りにつく戦車や戦闘機などのミニチュアが雑然と置かれている。モニターでは「大怪獣ラドン」のメイキングシーンが映し出され、サングラスとパナマ帽でおなじみの円谷英二氏が陣頭指揮する姿がちらっと映る。きっと、ここにあるミニチュアの多くは、当時確かに一度は使われたものに違いない。出口にはキングギドラが誇らしげに僕らを送り出してくれた。

 地階では草創期の神様たちが編み出した特撮技術の原点が紹介されていく。山々を背景にトンネル直前で渋滞している車の列が見える。手前から奥に行くほどに車は極端に小さくなっていく。これも二次元芸術である映画ならではトリックだ。実際以上の遠近感を感じるように強調されている。また、CGなどなかった時代に戦闘機をつるしたピアノ線が見えないようにするために、逆転の発想を試みる。セットを上下逆さまにつくり、空と雲を下にして背面飛行の戦闘機が空側に固定されている。それを鏡で反転させた映像を撮影した。

 日本海海戦の際に戦艦や駆逐艦などの航跡を俯瞰のショットで撮るために、寒天をしきつめた太平洋を東宝撮影所の屋外プールに作ったり、キノコ雲を作り出すのに水に絵の具水を一気に入れたところをカメラを逆さにして撮影したりした。これらの手法はもはや古典すぎて、今の世代には子供だましにしか見えないかもしれない。しかし、例えば「大怪獣ラドン」のクライマックスシーンを撮影するために、阿蘇山の噴火を本物の溶鉄を使って大規模セットの山の頂上から流すなんて事は、今や安全面からも予算面からも不可能だろう。CGは映像に迫力を増すための技術というだけでなく、安易な省予算のための方便にもなっている。

 かつては、ウルトラマンのカラータイマーひとつをとってみても専門の電工さんがいた(今もかな?)。あのキラキラと不規則に輝いてみえる工夫はそれこそ手作りで、カラータイマーの中に手ででこぼこに打ち込んだ金属板を電球との間に仕込んでいた。バッテリーボックスはウルトラマンの着ぐるみの脇の部分に隠され、タイマーの点滅は2パターンに切り替えが可能だった。

 さて、夢が終わるときがいよいよ近づいた。短編映画は中盤の山場だった。庵野さんと樋口さんが、特撮の夢を引き継いだ”若手”としての気概を見せてくれた。最後の最後は、やはり真打ちに登場してもらわねばならない。飾りきれなかったフィギュアをまとめてディスプレイした部屋には、ウルトラマンや怪獣たちにまざって仮面ライダーたちも仲間入りして意表を突かれる。この部屋ではモニターが壁にはめこみになって並んでいる。東宝のゴジラを中心とする怪獣たち、大映のガメラを中心とする怪獣たち。昭和ガメラの名場面では、僕ら当時の少年たちを鼓舞した「ガメラマーチ」が流れる。

 そして映画からTVへとうつり、ウルトラマンと個性あふれる怪獣たちの対決シーンがダイジェストで流れる。劣勢をしのいだウルトラマンたちが反撃に繰り出すシーンが〈夢の終着点〉だ。BGMはもちろん「帰ってきたウルトラマン」の、あの勇壮なテーマ曲だ。この曲を聞くだけで僕らは勇気がわいてくる。冬木透さんの曲はどれもみな名曲だった。

 余韻を味わいながら、あの吹き抜けのホールに出てきた。あの上階からみたセットの手前に「巨神兵東京に現れる」のワンシーンを再現した記念撮影コーナーが設けられていて、カップルや親子連れが順番を待っている。短編映画の中で、精巧に作られたあるアパートの一室の窓の遠景に巨神兵が通り過ぎていくシーンがあった。巨神兵の位置に立つことができて、アパートの室内手間から、カメラでアングルを決めて撮影できる。僕はと一人きりなので、何もいないけれどアパートの室内の見事さを楽しむ事にした。

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 夢は終わった。ここには、もう彼ら特撮の達人たちが僕らにみせてくれた〈夢〉は、すでにない。僕らが少年時代に夢見た記憶のかけらが落ちているのみだ。ありがとう。これからもまた、古くて懐かしくて、どこか新しい夢を見せてくれる事を願って…。 
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2012年08月22日

「館長 庵野秀明 特撮博物館」に行く(その3)

 いよいよ、短編映画「巨神兵 東京に現わる」が上映される。これが、今回のクライマックスだろうか。庵野さんがシノプシスを書き、樋口真嗣さんが絵コンテを描き上げ、全編を通して語られる言葉を、あの覆面作家・舞城王太郎が寄稿した。言葉に声を与えるのは「綾波レイ」の声優・林原めぐみだ。舞城が一枚かむきっかけは奈辺にあるのだろうか?世代は樋口さんより下ではないかと思われる。やはり庵野さんの幅広い交際関係によるものか?

 とにかく、松竹が生み出した「大怪獣東京にあらわる」という映画にあやかったタイトルを付けた本短編では、巨神兵が東京、しかも下北か吉祥寺のような風景のどまんなかに現れる。日本の特撮技術の末裔たちは、確かに円谷英二に始まるパイオニアの技術を受け継ぎながら、ぼくらが映画館のシネマスコープで、あるいはブラウン管のテレビ受像器の中に見出した記憶の中のワンシーンに、数十年をかけて培ってきたテクニックを幾重にも上塗りしていく。これに本多猪四郎さんたちの人間ドラマが特撮と交互に描かれていけば、まちがいなく僕がかつてみた特撮映画になるはずだが、それはここで望むべきものではないだろう。

 10分程度の短編映画はあっという間に終わり、次の上映を待つ人たちと入れ替わりに席を立った。これで終わりかな。満腹ではないけれど、結構楽しめたな。などと思ったら、そうではなかった。これが中盤のクライマックス。さらにさらに驚きの特撮博物館は続く。

 庵野さんと樋口さんが「僭越ながら…」という低姿勢で自らの絵コンテやシノプシスを展示している。庵野秀明コーナーでは、かのジブリの代表作「風の谷のナウシカ」で、人間の手で甦った巨神兵が、映画「アラビアのロレンス」さながらに砂丘の上から、巨体をくずおれながら、閃光と化した炎の玉をはなつシーンの手描きの原画が展示されていた。当時のジブリは相当に手が足りなかったのか、自分のような駆け出しを雇ってくれた上に、重要なシーンをまかせてくれたと、庵野さんのコメントが添えられている。なんと原画の枠外には宮崎駿氏の落書きが書き込まれていて、疲れて仮眠中の庵野さんの姿に「おそい!寝てばかりいないで早く仕上げろー!」というきつい一言。笑える…。

 その奥ではモニターの前に人だかりができていて、さきほど観たばかりの短編映画のメイキングが15分ほどにまとめられている。手品の種明かしのように、さまざまなアイディアも盛り込んだ最新の特撮テクニックの仕込みが披露される。ビルの崩落シーンの方式比べに、超高熱で一瞬のうちにとろけるビルの映像作り。「アニメはいいよな。自由に描けばいいんだから」とぼやきながらも、どうやって絵を着くっていこうかと頭を悩ます技術陣の面々は、いずれも楽しそうだ。その楽しさが、観ている僕らにも伝わってきて幸せな気分になった。

 そこから、地階からの吹き抜けになった通路にたどり着く。吹き抜けのホールに組まれたミニチュアセットが上階から俯瞰できる。セットには、あのモスラも破壊した東京タワーがくの字に曲げられていて屹立している。この一角だけはカメラ撮影OKらしく、親子連れやカップル、あるいはマニアが嬉しそうにセットに入り込んでいる。早く下におりてアレを楽しまねばと思いつつも、この俯瞰のイメージをしっかりと記憶に納めたくてなかなかに立ち去りがたい。ベンチに腰掛けて、しばし休憩だ。
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2012年08月20日

「館長 庵野秀明 特撮博物館」に行く(その2)

 入り口をとおって白い壁にはさまれた細い通路を歩いていくと、東京タワーの模型が目に入ってくる。その上方には公開当時の「モスラ」の大ポスターだ。そう、勘違いされやすいが、東京タワーを最初に破壊したのはゴジラではなくてモスラだ。正確にはモスラの幼虫が、はからずも成虫になるためのさなぎを作るためには東京タワーは絶好のやどり木に見えてしまったようだ。

 何はなくとも東宝の、円谷英二らの、日本の特撮の歴史を思い浮かべる上で、東京タワーほどシンボリックな存在はない。東京スカイツリーができてしまった今となっては、東京タワーはしずしずと日本一の座を譲り渡してしまったかのようであるけれども、昭和の戦後日本の象徴として、一身に子供たちの夢を引き受けてきたのが東京タワーだった。どこぞの知事が「嫌いだ」と言ったところで、東京タワーがかつての僕ら子供の「夢」をはぐくんでくれた事はまぎれもない事実なのだ。

 そこから左手に会場がひらけると、数々のフィギュアが、手にとれそうなほど無造作にテーブルの上に載せられて展示されている。かつては世界的なマーケットを形成していたという、日本が誇る特撮陣が生み出した空想科学の産物たち。海底軍艦「轟天号」や、ゴジラを迎え撃つ自衛隊のメーサー砲を搭載した戦闘車両などが楽しい。映画では凶悪そのものだったメカゴジラの着ぐるみも僕らを暖かく迎えてくれる。明らかに父親の方が見たくて息子を連れてきたパターンの親子連れがうようよいる。息子が言う。「メカゴジラだ!でもちょっと形が違うなぁ」。そうだよ、だって1974年に上映された初代のメカゴジラだもの。

 轟天号の他にも「宇宙大戦争」や「地球防衛軍」で使われたロケットや兵器などに見ほれてしまって、なかなか最初の部屋を立ち去りがたくなった。なにしろ時間はたっぷりあるのだ。1つ1つの展示には庵野館長の涙ぐましいコメントが付されていて、大きいと思った轟天号の模型には「本当はもっと大きな縮尺(の模型)が存在したんですが…残念です」のように、なんとも庵野さんらしからぬ素直な感想が吐露されている。

 今やCG全盛となり、手作り感満載のミニチュアや、人が入っていると想像のつく着ぐるみから作られた特撮は見向きもされない時代になった。かつての「世界に誇った技術」も、存在証明ごと消えていこうとしている。ここに集められた〈存在証明〉の数々は、タイトルとともに「個人蔵」と書かれているものがほとんどだ。庵野さんの「残念です」というコメントにこめられた思いが痛いほど伝わってくる。

 例えば次のコーナーでは、ウルトラシリーズの戦闘機の数々を集めてあるのだけれど、ウルトラホーク1号はあるのに2号も3号も見当たらない。シリーズの中でもSF色が強かった「ウルトラセブン」の超兵器すらすべてを展示できないのか。いやいや、「帰ってきたウルトラマン」のマットアローやマットジャイロはあるし、なにより「初代ウルトラマン」のジェットビートルとビートルVTOLなどが揃っているではないか。こんな時代であるのに、これだけのものを集めた庵野さんには内心忸怩たるものがあるはずだ。しかし、一ファンの立場になってみれば、「くやしい」「残念です」という一言がつい口をついてしまうのだろう。

 そうそう、少しばかり先走ってしまった。そうは言っても、あの「飛べ!マイティジャック」のマイティ号のかなり大きな模型が展示されているのには感動してしまった。ウルトラマンやセブンとは違って大人向けの時間帯に放映されたが故に、なかなか本放送を観る事はかなわなかった。だからいまだにストーリーそのものはよくわかっていない。ただ、海底のドッグにあるマイティ号が発進する際のダイナミックな特撮はいまだに忘れられない。あのドッグに停泊するマイティ号は遠近法を極端にして大きく見せたものだ。ドッグに海水が注入され、水面が波立つ。そこからマイティ号は潜水艇としてドッグを離れ、海面から空へと飛び出していく。おそらく、あの宇宙戦艦ヤマトの初回の発信シーンの感動はマイティ号によって先取りされていたとも言える。

 展示には、特撮をささえてきた「すごい人」(庵野)たちのコーナーが用意されている。「すごい人」の掉尾を飾るのは円谷英二をおいていないが、僕がまっさきに感銘を受けたのは成田亨氏のコーナーだ。彼の役割は造形美術だ。言わずと知れたウルトラマン、ウルトラセブンの造形はもちろんのこと、相手役の怪獣や宇宙人の多くを生み出した、掛け値なしに「すごい人」だ。いまだに愛されるケムール人、ガラモン、レッドキング、ゴモラ、キングジョーなどなど。人間に恐怖をもたらす存在でありながら、美しくてどこか懐かしい。一つ一つの意匠に成田さんのセンスがどうしようもなく表れている。

 そんな達人はいまだに存命で、CG全盛・アニメ全盛の世の中に対して厳しい眼差しを向けている。リアリティを追求することが特撮の役割だとするならば、円谷英二をパイオニアとする手作りの「特撮」は、CGなどの最新のデジタル技術に勝てない。しかし特撮には人間のイマジネーションを喚起する役割があったはずだ。そこにはさまざまな人間のアイディアと創意工夫が重なることによって、子供や大人がファンタジーを幻視することができた。いまのように隅から隅までCGで埋め尽くされた映像では、観る者のイマジネーションは奪われたままだ。と、成田さんは厳しく批判する。

 僕は成田さんの言葉の前で直立する。ただただ甘んじて受け止めよう。庵野さんもそうだろう。だが、庵野さんや樋口さんが成田さんたち「すごい人」の理念を受け止めたがゆえに、エヴァが生まれ、平成ガメラが生まれたはずだ。これはデジタルの世界においても、まだまだ人間を信じていいということの証ではないだろうか。先達の言葉は正しく受け止めるとして、僕ら後身は前に進むしかない。さりとて、ここ特撮博物館で、失われる直前の最後の輝きを、みなで見つめるべきだろう。
posted by アスラン at 06:57| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月17日

「館長 庵野秀明 特撮博物館」に行く(2012/8/2)(その1)

 少しなめていた。

 男子体操の内村航平が個人総合で金メダルをとったとニュースで知っていたので、NHKの(ライブでない)ロンドンオリンピックの放送をついつい見てしまったら、なかなか尻が上がらなくなった。それでも一度も降りたことのない駅、一度も行ったことのない美術館で開催される展示に、うまくいけば10時に、最悪でも10時半に着く予定だった。

 チケットは立川駅に出る途中のローソンでLOPPI端末から購入した.ウェブのローソンチケットだと、アドレスや電話番号を入力しなければならないし、クレジット決済は前日に会社の同僚から聞いていたとおり24時間たたないと発券されない。おまけにシステム使用料200円とLOPPI代100円、合わせて300円の手数料をとられる。あやしいなぁ。もしかしたらコンビニのローソンに直接行けば100円だけで済むかもしれないと欲が出た。なにより店の方がトラブルにならなそうだ。それで当日朝にローソンでチケットを購入したのだが、結局300円の手数料をとられるのに変わりはなかった。よってチケット代は1400+300=1700円+外税だ。

 とにかく急がねば。それにしてもどこで乗り換えるんだろう。歩きながら調べようにも最寄り駅が思い出せない。前の日に会社でアクセスをプリントアウトしておけばよかったと後悔する。もちろんケータイから調べればいいのだけれど、スマホと違ってガラケーの自機だと、ちょっとばかり情報が中途半端になる。

 歩きながら「乗り換え案内」サイトから、うろおぼえの「白河清澄」を入力。そんな駅はないってさ。仕方なくケータイでPCサイトの「東京都現代美術館」を検索。アクセスによると…。しまった、「清澄白河」だった。出ないわけだ。大江戸線清澄白河駅下車徒歩13分!駅から13分なんて、都内でどんな立地なんだよ。なんだか、バスでも行けそうだが、あいにくケータイからはたどれない。仕方なく見切り発車で立川から中央線で新宿へ向かう。また大江戸線かぁ…。

 新宿乗り換えの大江戸線にはろくなことがない。乗り換え方が今ひとつ腑に落ちない。例の9だか6のループ状の路線が曲者だ。これから行く清澄白河駅も新宿を起点としてループの一番向こう側に位置する。六本木経由でも逆回りで行っても同じに感じられるが、駅の表示板には六本木経由でないとたどり着けないかのように書かれている。変だな。乗り換え案内の結果を見比べてもどっちが正解か分からない。答えがでないまま2本も乗り過ごした。すごく田舎者になった気分だ。いや、結婚して立川に越した時点で田舎者になっているのだけれど。

 どうやら30分はかかるところにあると知り、あきれて観念した。そんな外れにあるのか。しかも着いてさらに歩いて13分。みんな、わざわざ観に来ているのかしら。前日までの寝不足と仕事疲れで居眠りしながら、平日の大江戸線の空いた車両にゆられ、ようやく清澄白河駅に到着。「A3の出口を左に出て(歩く)」と書かれた案内表示をさっと飲み込んで地上に出た。炎天下の中をひたすら歩く。今日も相変わらず熱中症アラーム日和だ。なんて考えながら歩けど歩けど目的地は見えてこない。しかたなく交番に泣きを入れると、そこを渡って「この道をまっすぐ行きなさい」と、僕の進む方角と直角に折れた道を指し示す。どうやら完全に道を間違えたようだ。帰りに確認したところ、案内表示板では「A3出口を左に折れてすぐに左に曲がる」と書かれていたようだ。とにかくこの時は、気持ちが急いていたので交番のおまわりさんに聞いた「とにかく木場公園まで行ってください」という言葉を頼りに突き進む。「結構ありますよ」と呆れたように言われた。

 確かに延々と歩き続けるも、それらしき公園は影も形もない。その時点で予定の10時も10時半も越えて11時を過ぎていく。しかたなくauケータイのナビを立ち上げて、現在地の地図を表示してみる。あー、これが木場公園だ。間違ってはいないみたいだ。しかし向きがわからんなぁ。太陽は南中してしまったので北がどちらかわからない。素直に金を出してケータイにナビゲートしてもらうか、などと躊躇して立ち止まる。日差しはジリジリと照りつけ、まさにアラーム通りに赤信号が灯ってくる。よし、感を信じて歩いてみよう。歩いて歩いて歩くと、ようやく大きめの公園が見えてきた。ここらへんの地形は真っ平らなので、ここまで近づかないと公園の木々も目に入ってこない。

 木場公園を対面に控えた道にぶつかると、さて東京都現代美術館はどこでしょう?標識には「左折して480m」かぁ。本当に駅から13分で着くのか?道を間違えた事は棚に上げて、どうしても納得できない。本当に?それにしても都会のなかにありながら、上野の森にある数々の美術館とは大違い。僻地にあると言っていい。こんなところに親子連れがゴソッとくるわけがない。彼らは池袋のサンシャインシティで「ウルトラマンフェスティバル」を観に行ってるんだよ、きっと。

 案の定、ようやくたどり着いた東京都現代美術館の周辺は閑散としていて、入り口前のベンチに座っている数人の姿以外、人影が見えない。だだっ広いエントランスに入ると「当日券をお求めの方はこちら」の立て看が出ていて、チケット売り場に行列が出来ていた。10人も満たないささやかな行列。これを待たないために、僕はローソンで300円余分に金を払った事になるんだ。やれやれ。

 それでも並ばずに直接展示会場に向うのは悪い気分ではない。それに混んでない博物館こそ、こちらの願ったとおりの夢のような場所に違いない。その「夢」が今まさに始まろうとしている。

 常設展示手前に特別展示の入り口が二つ。一つは若者向けのファッションの未来を歌い上げた展示。その隣が僕らの目指す特撮博物館だ。正確には、

 館長 庵野秀明 特撮博物館 ミニチュアで見る昭和平成の技

だ。
posted by アスラン at 20:01| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月19日

記憶の中の森繁久彌

 僕が小学生の頃、兄のステレオの横に置かれたレコードラックの中に、加藤登紀子の「知床旅情」のシングル盤があった。あれは誰が買ったのだろう。兄が買ったのかとずっと思っていたが、ひょっとするとあのレコードも、ステレオと一緒に親戚から譲り受けたものだったのかもしれない。子どもの頃から人一倍ミーハーで、かつ渋めな性格だったからか、この「知床旅情」はいたく気に入った。加藤登紀子の朗々と歌い上げる歌声に魅せられて、なんども繰り返し聴いた。そのシングル盤のジャケット裏に歌詞が書かれていて、作詞・作曲に森繁久彌とあったのを見て、とっても不思議な感じがした。有名な俳優がどうしてこんな良い曲を作れるのだろう、と。

 その当時から森繁久彌は子どもの僕にとってもおなじみの俳優で、どちらかというと映画俳優と言うよりも、テレビでよく見かける面白い役者という感じだった。一つには、土日の昼間に放映された日本映画の数々を毎週のように見る父親につきあってよく見ていたから、その中にたびたび姿を現す森繁久彌を映画俳優として意識する事がなかった。

 その頃の映画で何と言っても好きだったのは「社長シリーズ」だ。30本以上も作られた映画は、どれといって区別がつかない。森繁を中心に、毎回おなじみの出演者たちがそれぞれの役どころで同じような物語を繰り広げる。特に小林桂樹扮する堅物の秘書や、「パーッといきましょう」と宴会をもり立てる営業部長の三木のり平などとのお決まりの掛け合いが楽しかった。ドカーンと笑わせる一流のお笑い芸人たちを掌の中で軽くいなしてしまう森繁の円熟した笑いが洒落ていて、子どもながらに大好きだった。

 彼の真骨頂は、その後映画好きになってから東宝版「次郎長三国志」での森の石松にあると知ったのは、もちろんずいぶん後になってからだが、今でも森繁久彌と言うと思い出されるのはテレビ朝日で放映されたドラマ「だいこんの花」だろう。あれは、とにかく愉快でほろりと泣かせて、そしてあったかかった。もうホームドラマの模範と言える作品だった。向田邦子が脚本を書いていただけあって、ただ楽しいというだけでなく、どこか郷愁が感じられた。戦後を引きずって上官と部下という役どころを森繁と共演者が演じているところにペーソスがあった。

 追悼番組として「だいこんの花」が放映されたのを録画したので、とっても楽しみにしている。これをもう一度見ることで森繁さんを偲びたい。物語はもちろん楽しめるが、一番の見どころはエンディングでの一人息子役の竹脇無我との茶の間での掛け合いだ。この部分の森繁の台詞はアドリブだらけで、共演者さえもクスクス笑わされてしまっているのが伝わってきて、見ている僕らはとっても愉快だった。

 素晴らしい役者でした。ありがとう、森繁さん。
posted by アスラン at 02:10| 東京 ☀| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月11日

大原麗子亡くなる

 すごく寂しい。そんな死だった。まだ62歳なのに、名前の通りに麗しい女性がひっそりと誰にも知られる事なく病死した。あんなに有名な女優さんなのにと、彼女を知る人ならみんなそう思うだろうが、「あんなに有名な女優さんだった」のだ。芸能活動を病気治療のために休止している。Wikiを見ると「日本の元女優」と書かれていて、ショックだった。女優は死ぬまで女優だと思っていたからだ。

雑居時代(NTV,1973年)
獄門島(東宝,1977年) 鬼頭早苗
くれない族の反乱(TBS,1984年)
春日局(NHK,1989年) 春日局


 彼女の作品を振り返ると、思った以上に代表作というのが少ない。あれほど人気の大女優ではあったが、ワイドショーや新聞に取り上げられるのは、サントリーの「少し愛して 長〜く愛して」のコピーが有名なウィスキーのCMか、マドンナとして助演した「寅次郎シリーズ」の出演作というところに落ち着く。

 僕個人の記憶をたどってリストアップしてみた。なんと言っても「雑居時代」だ。70年代のホームドラマになくてはならない存在だった石立鉄男が、あの大ヒット作「パパと呼ばないで」に引き続いて出演した作品だ。しがないフリーカメラマンの石立が、ひょんなことから女性4姉妹と同居する事になる。前作で親子になった杉田かおるも末っ子として登場していた。

 大原は次女で、もっとも石立と対立し、そしてもっとも互いを意識するという役どころだった。そのマンガのようなワクワクさせる展開に、小学生だった僕は当然ながらドキドキしながら毎回楽しみに見ていた。思えば最初のあこがれの人だったのかもしれない。

 石坂浩二が金田一耕助を演じたシリーズの三作め。獄門島という瀬戸内の孤島から一歩も出たことがなく、本鬼頭という旧家の因襲にしばられて生きる悲しい女性・早苗を演じた。「(ここから)連れ出してください」とすがる彼女に、金田一が動揺するという、本シリーズ屈指の名シーンが描かれた。

 そして80年代。「金曜日の妻たちへ」シリーズで一世を風靡したTBSのドラマ枠で放映されたのが、大原麗子扮する主婦が田村正和扮する店長(マネージャー)が仕切るデパ地下の店舗でパートタイムの仕事につくという設定だった。「くれない」というのは色の事ではなく、「〜してくれない」と子供のような駄々をこねる主婦が多くなったという世相を反映したドラマだったようだ。

 そして彼女のおそらく女優としてのキャリアのピークがNHK大河ドラマ「春日局」だ。まだ親元にいて日曜の夕食後のひとときを父母と一緒になって見ていた時期だ。大河ドラマの主人公は男のものと決まっていたのを、堂々と女性ひとりが主人公になった最初の作品ではなかっただろうか。今の「篤姫」の宮崎あおいがそうだったように、とっても新鮮で、気丈で可憐な女性像がとっても魅力的だった。

 数ある難病のなかで、僕もよく知らなかったギラン・バレー病に若くして発症し、克服する事なく62歳という若さで旅立った。本当に残念だ。
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2009年07月08日

レンタル100選100円(2009年)

 TSUTAYAがこの夏のキャンペーンで、洋画の名作DVD100本を1本100円(原則として7泊8日)でレンタルさせてくれるそうだ。しかも、このキャンペーン。なんと出版社が毎年行っている〈夏の文庫フェア〉にちなんで100冊ならぬ100本の名作を選んでレンタルしようというものだ。文庫フェアに毎年過敏に反応してしまう僕としては、この企画に思わず「のった!」と声をあげてしまおうと思う。

 TSUTAYAのサイトで100本のラインナップを確認した。調べると、56本はなんとか観ている。何本かはテレビでしか観てないし、テレビで見かけたものでもストーリーをうろ覚えのものは除いた。
その上で、〈記憶の映画〉的ランキングを施すと以下のようになりました。参考にならないかもしれませんが、極私的ラインナップです。

[レンタル100選限定のベストテン]
インディ・ジョーンズ レイダース 失われたアーク
激突!スペシャル・エディション
サウンド オブ ミュージック
ショーシャンクの空に
十二人の怒れる男
タクシードライバー
天国から来たチャンピオン
プリシラ
オール アバウト マイ マザー
風と共に去りぬ


 あくまで100本の中で、僕がベストだと、というよりベターだと思った10本。もちろんマイ・フェイバリットな映画ばかりだ。

[記憶の映画モアベター]
エリン・ブロコビッチ コレクターズ・エディション
クレイマー・クレイマー コレクターズ・エディション
ゴッドファーザー<デジタル・リストア版>
スティング スペシャル・エディション
ニュー シネマ パラダイス 
バック・トゥ・ザ・フューチャー
燃えよドラゴン〜ディレクターズカット スペシャル・エディション
明日に向って撃て!〈特別編〉
ギルバート グレイプ
シックス・センス
初恋のきた道
ラブ・アクチュアリー


 自信をもってオススメできる12本。

[悪くない]

ガタカ
スタンド・バイ・ミー
素晴らしき哉、人生!
SMOKE
ダイ・ハード
25年目のキス
羊たちの沈黙 特別編
フェイス/オフ
マディソン郡の橋 デジタルリマスター版
ライフ イズ ビューティフル
レオン
ローマの休日
アイ・アム・サム
アメリ
カッコーの巣の上で
CUBE ファイナル・エディション
死ぬまでにしたい10のこと
ショコラ
トゥルーマン・ショー
ノッティングヒルの恋人
ファイト・クラブ
フォレスト・ガンプ 一期一会
ブリジット・ジョーンズの日記
ブレードランナー
マトリックス 特別版
メリーに首ったけ
ロード・オブ・ザ・リング
キューティ ブロンド
コヨーテ・アグリー
猟奇的な彼女

 どれも悪くないです。夏に観るなら、どれ観ても楽しめるはず。

[オススメできません]
セブン
プライベート・ライアン
ダンサー・イン・ザ・ダーク
スター・ウォーズ エピソード〜新たなる希望


 個人的な意見ですが、どれも嫌いです。理由を書くと、この4本だけで書ききれないほど書けるので、あくまで個人的な好みと思ってください。監督さんの良し悪しとも別次元です。
posted by アスラン at 12:59| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月29日

2006年4月アクセス解析

1 「犬神家の一族」ふたたび!
2 「ラヂオの時間」「そして僕は恋をする」(1997年11月8日(土))
3 僕が選んだ1999年ベストテン+お気に入り10本
4 1999年4月28日(水) 「ライフ・イズ・ビューティフル」「逮捕しちゃうぞthe MOVIE」「ブレイド」
5 1999年6月13日(日) 「メイド・イン・ホンコン」「イフ・オンリー」「25年目のキス」
6 1999年1月3日(日)「あ、春」「たどんとちくわ」
7 1999年4月25日(日) 「シン・レッド・ライン」
8 1999年5月4日(火) 「恋に落ちたシェークスピア」「女と女と井戸の中」
9 1999年2月7日(日) 「6デイズ7ナイツ」「ワン・ナイト・スタンド」「ニンゲン合格」
10 1999年1月15日(金) 「I want you」「のど自慢」
11 「フィフス・エレメンツ」(1997年9月16日(火))
12 「コンタクト」「ハーモニー」(1997年10月12日(日))
13 1999年5月2日(日) 「39−刑法第三十九条」「大阪物語」
14 「セブン・イヤーズ・イン・チベット」(1997年12月13日(土))
15 1999年4月29日(木) 「永遠と一日」「トゥエンティフォー・セブン」

1 「犬神家の一族」ふたたび!

 先月のアクセス解析でも一位。そして今回もまたまた一位だ。というかそれ以外に目玉となる記事がないんだな、このブログは。それはさておき先月のコメントでちょうどクランクインのニュースが流れたと書いたのだが、今回のコメントを書くにあたってググってみました。すると興味深い結果が…。

 まず俳優・中村敦夫さんが自身のブログで、この映画に出演する旨報告されています。一体どの役でと思ったら、なんと小沢栄太郎が演じた田舎の弁護士役でした。小沢さんはきまじめでちょっと疑り深いキャラクタを演じ、金田一の風体を見てはさもうさんくさそうににらんだり、復員してきた覆面姿の佐清が本人であることの証明をせまったりと、田舎者でありながらなかなか一筋縄ではいかない雰囲気がよくでていましたが、果たして中村さんはどんな弁護士を演じてくれるでしょうか。

 ところで先月、大滝秀治さんがでないのか、などと早とちりしましたが、当時と同じ神官役で出ていますね。産経新聞の記事は気が利いていて30年前の作品の役者と今回の役者との比較表を載せています。尾上菊之助と冨士純子が親子競演だったのも初めて気づきました。

2 「ラヂオの時間」「そして僕は恋をする」(1997年11月8日(土))

 「ラヂオの時間」は舞台挨拶があったと書いてある。舞台挨拶というのが僕は嫌いだ。映画を観まくる人間にとってあれほど邪魔なものはない。もちろんサプライズのように映画を観たあとに、いきなり舞台に監督や主演の役者が出てきたら本当に感激してしまうだろう。ミーハーな人間だから役者さんや監督さんに会いたくないわけではない。だが。だが、である。

 腹立たしいのは、僕が映画を観るための特等席としている最前列が舞台挨拶を取材しにきたカメラマンで埋まってしまうことだ。さらに腹立たしいのは、彼らには映画を真剣に観る気などないことだ。映画終了後の舞台挨拶の撮影準備をするか、準備をすまして仮眠をとったり、映画のおつきあいで流し見をしているかのいずれかだ。その雰囲気が伝わってくるので最前列真ん中でいつものように観ている僕は落ち着かないのだ。

3 僕が選んだ1999年ベストテン+お気に入り10本

 なにか書こうかと改めてベストテンを眺めていたら、なんのことはない。4位以下のランキングはベストテンに入った映画の記事だ。よって以下のコメントを読んでください。以上。

4 1999年4月28日(水) 「ライフ・イズ・ビューティフル」「逮捕しちゃうぞthe MOVIE」「ブレイド」

 横浜ランドマークホールでの「ブレイド」の試写会には会社の女の子を誘った。彼女とは映画の趣味は必ずしも一致していないが、映画好きという点ではかろうじて共通点があるみたいだった。「ブレイド」も変わっているが血のシャワーのシーンを除けばおおむね及第点だと意見が一致した。というのも映画を見終わってからランドマークプラザで食事をしながら話したからだ。

 彼女とその後八景島シーパラダイスに行った時に川崎に戻って遅い食事をしたら終電をのがして帰れなくなってしまった。だから結局彼女の部屋で夜を明かす事になり、その時に途中のビデオ屋で借りたのが「逮捕しちゃうぞthe MOVIE」だった。僕が特に気に入ってるアニメだったので彼女にもオススメしたかったのだ。結局眠い目をこすりつつ借りた3本のすべては観られなかったが、このアニメは全部見たはずだ。終わったときにどこがそんなによかったのか聞かれた時はさすがに拍子抜けだった。やはり映画やアニメの趣味はそんなに一致していない。結婚してからそのことはよーく思い知らされた。
 
5 1999年6月13日(日) 「メイド・イン・ホンコン」「イフ・オンリー」「25年目のキス」

 映画の話とは関係ないので恐縮だが、映画をハシゴしながら楽しみなのはどこで食事をするか何を食べるか、だ。銀座界隈で映画を観るとなるとやはり中心は日比谷、有楽町だ。その点でテアトル西友ははずれにあるので、そのはずれの周辺でおいしい店を探す事になる。前回書いた天龍もその一つだ。

 ある時期アンチョビの入ったピザにはまった時期があって、それを食べさせる店を探していた。確かイタリー亭という店で、僕の趣味にあったピザを食わせてくれた。渋谷にも同様の店があるのだが、こちらは昔ながらの落ち着いた雰囲気でカップルでこないのはかえって無粋だと感じさせる店だ。ただしランチだから一人でもいいだろう。ちょっとアンチョビの塩味がきついのが難だが美味しい。

6 1999年1月3日(日)「あ、春」「たどんとちくわ」

 「あ、春」は今は亡き相米慎二監督作品。主演は斉藤由貴と佐藤浩市。幸せな家庭を築いている佐藤の前に突然子供の頃に失踪した父親(山崎哲)が姿を現し、幸せな雰囲気をかき乱す話だ。母親役が冨士純子で山崎が失踪して残された息子を一人で育てたたくましさが感じられるきっぷのいい役だった。たしか映画を引退して主婦業に専念して久々に復帰した作品だったと思う。マキノ雅弘監督に見いだされた彼女がヤクザ映画を経て、ここまで存在感のある女優になるなんて誰も想像しなかったに違いない。今度の「犬神家の一族」が楽しみだ。

7 1999年4月25日(日) 「シン・レッド・ライン」

 テレンス・マリック久々の新作だった。いや久々どころか「天国の門」以来、20年ぶりの新作だった。「天国の門」以来だ。そしてついGWに上映された「ニュー・ワールド」はたったの7年ぶり。それにしても寡作には違いない。

8 1999年5月4日(火) 「恋に落ちたシェークスピア」「女と女と井戸の中」

 新宿東映パラス3(全48席)の小ささに驚いたという話を書いているが、ちょっと懐かしくなって今もあるのか調べてみた。残念ながら2004年に再開発のため閉館したそうだ。このメモリアル映画館のHPでは「死ぬまでにしたい10の出来事」を上映してた。なるほどこの映画館向きかもしれない。連日混雑して立ち見が出てるという張り紙が笑える。48席じゃあ立ち見も出るよ。
 
9 1999年2月7日(日) 「6デイズ7ナイツ」「ワン・ナイト・スタンド」「ニンゲン合格」

 「ニンゲン合格」は黒澤清監督作品。主演の10年ぶりに昏睡から覚める青年を西島秀俊が演じている。まだ当時は無名ではなかったにしろ人気俳優とはほど遠かった。前年「アートフルドジャーズ」に出ているから、どちらかというとインディーズ系の役者というイメージがある。最近テレビドラマ「アンフェア」で非常にストイックな出版社社員を演じていたが、やはり単なるイケメン役者ではないのだ。
 
10 1999年1月15日(金) 「I want you」「のど自慢」

 「のど自慢」はいまやテレビのコメンテーターの仕事が定着した感のある井筒監督の作品。監督さん自身は面白いか面白くないかでばっさりと映画を切り捨てているが、その点で言うと「のど自慢」のおかしさはちょっと中途半端な感じがする。言うほど面白くない。面白くないのではない。面白いが痛快というのとは違う。たぶん笑いに対する考え方感じ方が僕とはちょっと違うのかもしれない。

 ところで先日「ロンゲストヤード」のリメイクを自腹で観てこけおろしていた。ロバート・アルドリッチの前作に全然及ばないと熱を込めて力説していたが、それに関しては僕も同感だ。

11 「フィフス・エレメンツ」(1997年9月16日(火))

 先日テレビでやっていた。クライマックスの石を砂漠にある装置にセットするところ。どうやって装置が起動するかで、石を開かなくてはならない。どうしたら開くかというシーンのドタバタがやはりおかしい。笑える。水には水を、風には風を、火には火を。分かりやすい理屈で、しかも火が最後の最後にブルース・ウィルスが持っていたマッチ一本に人類の未来が託されるのも最高だ。

12 「コンタクト」「ハーモニー」(1997年10月12日(日))

 「コンタクト」は主人公のファーザーコンプレックスという設定に納得がいかず映画自体に楽しめなかったのだが、あとで会社の映画好きの友人に好きな作品だと聞かされた。彼は原作も読んでいてお気に入りだと言う。ちょっと僕の見方が狭いのかもしれない。今度原作を読んで判断するとしよう。

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2006年04月24日

2006年3月アクセス解析

 かなり遅めですが、先月の本ブログへの訪問者数(アクセス数)の上位ランキングです。

1 「犬神家の一族」ふたたび!
2 2006年2月アクセス解析
3 僕が選んだ1998年ベストテン+お気に入り10本+ワースト5本
4 1998年7月28日(火) 「ボンベイ」「不夜城」「ゴジラ(日本語吹き替え版)」
5 1998年8月14日(金) 「フレンチドレッシング」「チェイシング・エイミー」
6 「キャリアガール」「金田一少年の事件簿・上海魚人伝説」(1998年1月2日(金))
7 1999年4月11日(日) 「アルマゲドン」「グッドナイト・ムーン」
8 1999年4月28日(水) 「ライフ・イズ・ビューティフル」「逮捕しちゃうぞthe MOVIE」「ブレイド」
9 「タイタニック」(1998年1月6日(火))
10 1999年6月13日(日) 「メイド・イン・ホンコン」「イフ・オンリー」「25年目のキス」
11 1999年6月20日(日) 「サイモン・バーチ」「タンゴ」
12 「ポネット」「G.I.ジェーン」(1998年2月2日(月))
13 「カルラの歌」「スリング・ブレイド」(1998年1月31日(土))
14 「ゲーム」「チャイニーズ・ボックス」(1998年2月7日(土))
15 1998年7月11日(土) 「コレクター」「「中国の鳥人」
16 「この森で、天使はバスを降りた」(1998年1月15日(木)成人の日)

1 「犬神家の一族」ふたたび!

 ここ数ヶ月のアクセス数トップはこの話題だ。ちょうどクランクインしたとワイドショーで取り上げられていた。どちらかというと市川崑監督や石坂浩二にスポットを当てているのではなく、野々宮珠代役にきまった松嶋菜々子にばかり注目していた。当初思っていた加藤武のキャスティングは当然だが、大滝秀治はやはり出ないのか。犬神佐兵衛には仲代達矢がキャスティングされている。三国連太郎が再オファーされれば今度は老けのメークなしでできたのに。個人的には犬神松子を富司純子がやるのはなかなかいい考えだと思う。

 インタビュー記事に載っていた市川監督の話では、前回と今回では全然アプローチが違うと言ってる。やはり前回は角川映画の第1回作品ということで、かなり派手な演出、派手な見せ場を角川春樹プロデューサーから求められたそうだ。あれからこの作品自体は何度もテレビでも取り上げられたからテレビ向けの作り方なりを意識して作っていくというような事を言っていた。そのなかでCGなども取り入れていくそうだ。

 どんな形になるにせよ、石坂浩二を金田一にキャスティングするのははずせないとは監督の弁。そもそも前の「犬神家」で、石坂浩二を金田一にすることはプロデューサーから強く反対があったらしい。しかし原作者・横溝正史に「石坂浩二でやりたい」と許可を求めて、「好きにやったらいい」と了解を得たという裏話を明かしていた。その熱意があったからこそ、やはり今回も石坂金田一を選択するのは監督にとっては当然すぎることなのだ。

 それにしても加藤武も老いたなぁ〜。

4 1998年7月28日(火) 「ボンベイ」「不夜城」「ゴジラ(日本語吹き替え版)」

 今考えると僕も若かったな。本当にこの三作を一日で見たのかよという感じだ。いずれもある意味内容の濃い映画だったね。

5 1998年8月14日(金) 「フレンチドレッシング」「チェイシング・エイミー」

 映画の内容より映画を観た時の事の方がなんとなく思い出される。「フレンチ…」を渋谷のユーロスペースで午前中に見る。当然ながらこの手の映画だからそう観客は多くない。ただし主演がティーンズに人気の美形男性モデルだったからいつにない客層もいたりした。そういう客層はたいていカップルで来てるので終わって立ち上がる時の反応が面白い。女の子はそれなりに満足なのだが男の方は「なんだこれ?」って顔をしてるので、女の子も相手に気を遣って顔を見合わせてる。面白くなかった?って遠慮しながら問いかけてる感じだ。

6 「キャリアガール」「金田一少年の事件簿・上海魚人伝説」(1998年1月2日(金))

 全然映画の話と違うのだが、「キャリアガール」のパンフレットに映画評を寄せていた女流詩人の名前が目にとまった。彼女の下の名前はmakikoというのだが、実は僕の当時所属していた課にいたと聞かされていたので、あっ!と思ったのだ。

 彼女は僕の配属される少し前に退職して詩人の道を選んだので面識は当然ない。だが会社の仕事が退屈でトイレで詩をひねり出していたとか、およそ仕事に向いてなかったようなエピソードが山と残されていた。課長は初めて採用した女性だったので、入社2年目で逃げられた事がトラウマになって以後女性採用にはきわめて尻込みをするようになってしまった。僕はというと彼女が残したプログラムに付けられたmakicheckという名前に、エンジニアとして不向きだったとみんなが言う彼女の一端に触れた気がしておもわずほほえんでしまう。ところで先の課長にパンフレットを見せたら、ちょっと貸してくれと言ってコピーをとっていたのをよーく覚えている。
 
7 1999年4月11日(日) 「アルマゲドン」「グッドナイト・ムーン」

 「グッドナイト・ムーン」の原題は「Step Mom」。「継母」の意味だ。なんというか即物的なタイトルで味も素っ気もない。日本式の「愛と哀しみの…」みたいな叙情的なタイトルもどうかと思うが、この原題では明らかに日本では客が入らない。来日したスーザン・サランドンも邦題を聞かされて関心をしていた。ハリウッド映画は内容が扇情的にもかかわらずタイトルに色気がないという事がしばしばある。例えば日本ではパート2、パート3はそのまま前作のタイトルに2や3をつける。その方が分かりやすいし宣伝も手堅いと思うのだが、原題は全く続編を想像させないものが多い。なんとも不思議だ。

8 1999年4月28日(水) 「ライフ・イズ・ビューティフル」「逮捕しちゃうぞthe MOVIE」「ブレイド」

 「ブレイド」は横浜ランドマークホールでの試写会。その試写会はスポンサーの気前がすこぶるよくて映画鑑賞券2枚をくれた。ところがなんと「ライフ・イズ・ビューティフル」の鑑賞券だったのだ。なんたる皮肉!もう公開している映画の券を渡すなよ。すでにアカデミー外国映画賞を受賞していたのでなかなか見られず、この日やっと見終えて喜んでいたのだ。なんか損をした気分で試写会から帰った僕は、両親に券をあげたのだった。

9 「タイタニック」(1998年1月6日(火))

 たぶんデカプリオが水没していくのをウィンスレットが見送るクライマックスでは泣きたい女性はどっと泣くのだろうが、あれはもう終盤だからどんなに泣いても致し方ない。ところが僕の前列すぐ前にいたある女性は、中盤で何故かしゃくりあげるほど泣き出したのだ。あれほど迷惑なものはない。どう見ても泣くほどのシーンではない。いや涙がじんわりでてくる情感が感じられるとしてもおかしくはなかったが、彼女はしゃくりあげてしまったのだ。それは情感をたたえたシーンにオーバーラップするほどのBGMとなって館内に響いた。たぶん急速に気持ちが萎えてしまったのは僕だけではなかったはずだ。

10 1999年6月13日(日) 「メイド・イン・ホンコン」「イフ・オンリー」「25年目のキス」

 [銀座テアトル西友->有楽町シネ・ラ・セット->みゆき座]というはしごをしている。テアトル西友はJRや都営三田線と離れていたので、いつも早歩きで向かう事が多かった。あそこは席数が少ないので人気の映画だと焦って足取りが速くなるのだが、この時はそれほどではなかったはずだ。終わってからは有楽町駅前に戻る間に昼食をとる。たぶんこの頃はカフェ・シーカラの食べきれないほど大きなローストビーフサンド(バゲットの全長が15cmくらいある)をほおばっていたか、天龍の餃子ランチの超ビッグな餃子8つをかぶりついていたと思う。

11 1999年6月20日(日) 「サイモン・バーチ」「タンゴ」

 シネセゾン渋谷で朝一回目で「サイモン・バーチ」を観た。渋谷というところは街も人々も朝寝坊している。だから朝一番にいけばたいていの映画は空いて観られるという印象(Bunkamuraのル・シネマだけは例外なのだが)があるのに、この日は意外と混んでいてびっくりした記憶がある。ジョン・アーヴィング原作というのをあとで知って、文学好きに評判だったのかもしれないと、改めて原作者のファンの多さを思い知った。

12 「ポネット」「G.I.ジェーン」(1998年2月2日(月))

 映画のはしごのいいところは面白くない映画を観てしまったとしても、面白い映画を一本でも観られたら、その日はチャラになる。いや良い映画の効果の方が勝る。だがつまらない映画ばかりだと一日が徒労に終わった気分になる。この日がまさにそうだった。

13 「カルラの歌」「スリング・ブレイド」(1998年1月31日(土))

 映画のはしごの悪いところは、面白い映画ばかりだとせっかくの余韻が互いの余韻でかき消されてしまうところだ。本当は良い映画を観た時点で打ち止めにすればいいのだろうが、貧乏性なのか当時は映画の本数を稼ぐことしか考えていなかった。もうひとつはしごの良くも悪くもない点は、考えさせられる映画を連チャンで観ると、やはり一日考えさせられるというところだ。これは果たして良いことだろうか悪いことだろうか?

14 「ゲーム」「チャイニーズ・ボックス」(1998年2月7日(土))

 こういうはしごならばバランスがとれていていい。「ゲーム」は娯楽映画で「チャイニーズ…」の方は香港返還という政治的なテーマを抱えた映画だ。あと一本観るとしたらコメディだろうか。
 
15 1998年7月11日(土) 「コレクター」「中国の鳥人」

 これもバランスがとれた取り合わせ。「コレクター」は「ゲーム」のような監督の気取りが映像に感じられない分、素直にストーリーに没頭できた。「中国の鳥人」は奇妙な話でありながら、椎名誠原作らしい人間の素朴さが伝わってきた。二つの作品はかぶるところが少ないのではしごしても余韻の打ち消しあいが起こらない。

16 「この森で、天使はバスを降りた」(1998年1月15日(木)成人の日)

 さて、この映画の人気が今でも結構あることを最近知った。邦題は「世界の中心で愛を叫ぶ」みたいに、タイトルだけで分かりやすいドラマが感じられるようになっているが、原題は「THE SPITFIRE GRILL」だそうだ。戦闘機乗りだった夫への愛情が感じられる老婦人が営む田舎町のレストランの名前だ。つまりは田舎臭い人間関係を描いた作品であるにもかかわらず、邦題はさわやかさが強調されている。

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2006年04月19日

上野の森美術館「赤塚不二夫展」(1997年10月11日(土))

 上野の森美術館で「赤塚不二夫展」を見に行く。

 僕らの世代ならば手塚治虫ではなく何より赤塚不二夫のギャグ漫画で育った筈だ。「天才バカボン」「もーれつア太郎」「ひみつのアッコちゃん」などなどキリがない。まだ思い通りの作品が描かせてもらえなかった頃は少女漫画をいやいや描いていたという。それが「アッコちゃん」に生かされている。

 ギャグ漫画を描き出してからは、泉の如くアイディアが湧いて数々のキャラクタを生み出した。なかでもウナギイヌは究極のナンセンスだ。彼も手塚治虫とは違った意味での天才だと思う。

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2006年03月07日

2006年2月アクセス解析

 先月の本ブログのアクセス数(訪問者数)ランキングです。

1 「犬神家の一族」ふたたび!
2 2006年1月アクセス解析
3 「女は女である」「桜桃の味」「ニル・バイ・マウス」(1998年2月21日(土))
4 1999年4月28日(水) 「ライフ・イズ・ビューティフル」「逮捕しちゃうぞthe MOVIE」「ブレイド」
5 僕が選んだ1999年ベストテン+お気に入り10本
6 1999年5月4日(火) 「恋に落ちたシェークスピア」「女と女と井戸の中」
7 1998年7月28日(火) 「ボンベイ」「不夜城」「ゴジラ(日本語吹き替え版)」
8 「ゲーム」「チャイニーズ・ボックス」(1998年2月7日(土))
9 大林宣彦「理由」日テレバージョンの不思議
10 1998年8月13日(木) 「仮面の男」「リーサル・ウェポン4」「ホームアローン3」
11 「ラブソング」(1998年2月8日(日))
12 「ジャンク・メール」「アートフル・ドジャース」(1998年2月22日(日))
13 「ハムレット」「ユキエ」(1998年2月14日(土))
14 「トゥー・デイズ」「スポーン」(1998年2月15日(日))
15 1999年4月11日(日) 「アルマゲドン」「グッドナイト・ムーン」
16 「ポネット」「G.I.ジェーン」(1998年2月2日(月))
17 1999年6月20日(日) 「サイモン・バーチ」「タンゴ」

1 「犬神家の一族」ふたたび!

 みんな異常な関心を抱いているんだろうな。なにしろ30年前と同じ作品を同じ監督・同じ主演でリメイクだもの。ところで石坂浩二以外の配役はどうなるんだろう。大滝秀治や加藤武、岸田今日子に三国連太郎はなんとかなりそうだ。三国はメークせずに犬神佐兵衛翁を演じられるぞ。女優陣は厳しいか。珠世の島田陽子とか女中の坂口良子なんてむごいね。そうそう何より横溝正史本人が出られないのが悲しいな。

3 「女は女である」「桜桃の味」「ニル・バイ・マウス」(1998年2月21日(土))

 ゴダールとキアロスタミ。全然作風は似てないが、どちらも映画的な感性に満ちた映像を作る作家だ。似ている事がある。いやこれは僕だけの事情かな。テレビで見てもビデオで見ても面白くないという点だ。やはり映画館という装置を通してでないと、あのゴダールのモダンな映像もセリフも生きてこない。スクリーンにみんなでむかうという行為がないと、キアロスタミの描く土埃まいたつイランの風景のにおいが感じられない。

5 僕が選んだ1999年ベストテン+お気に入り10本

 そう言えば、先日ようやく1998年の「遡行」が終了した。一年通して178本を映画館で見まくった。ベストテンはすでに紹介している。お気に入りの10本(20本か)を別に選ぶ作業がいまから楽しみだ。

8 「ゲーム」「チャイニーズ・ボックス」(1998年2月7日(土))

「セブン」が嫌い。「ゲーム」はまあまあ。「ファイト・クラブ」良かったね。で、俄然次回作が気になるところではあったデビッド・フィンチャーではあるが、意外とこの人佳作なのね。例のジョディ・フォスター主演の「パニック・ルーム」が最新作だった。あれはどうなのだろう。良かったのだろうか。それにしてもフィンチャーの初監督作品が「エイリアン3」だったとはこれまた意外であった。
 
11 「ラブソング」(1998年2月8日(日))

 ピーター・チャン監督は何してる?「月夜の願い」「君さえいれば/金枝玉葉」「ボクらはいつも恋してる! 金枝玉葉2」と良質なラブ・コメディを作り続けて、「ラブソング」でラブ・ストーリーの王道を突き抜けたチャン監督はなんとその後ホラーなどに回り道をしている。フィルモグラフィを見て驚いたのだが、韓国のホ・ジノ監督の「春の日は過ぎゆく」のプロデューサーをやっている。達人同士うまがあっただろうか。そんなことより最新作「パーハップス・ラブ」は金城武を擁してまたまたラブ・ストーリーの予感だ。見たいなぁ。

14 「トゥー・デイズ」「スポーン」(1998年2月15日(日))

 10人の登場人物の人生が2日間でいろいろと交差する。面白い作品だったが、それよりこの作品には、いまや芝の上を奇妙な格好ではいつくばるスパイ(忍者?)を演じるシャーリーズ・セロンが出ている。彼女はまだブレイク前の無名の役者であり、ある殺し屋の愛人としてかなりセクシーな肢体をさらけ出している。まあ、ちょいネタだな。 

15 1999年4月11日(日) 「アルマゲドン」「グッドナイト・ムーン」

 「グッドナイト・ムーン」は原題が「ステップ・マム」。要するに継母の意味だ。確かにジュリア・ロバーツ扮する後妻(継母)とスーザン・サランドン扮する実の母親との間で子供達が揺れ動くから正しいタイトルと言えば言えるが、映画のタイトルとしては無機質で夢がない。来日したサランドンが邦題を褒めていた。
 
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2006年02月14日

2006年1月アクセス解析

 先月のアクセス解析ランキングです。まあ、アクセス数自体が少ないので、あまり意味がないかもしれませんが、訪問者の方々がどんな映画に興味があるのかが分かって僕には面白いです。ひょっとしたら映画ではなく俳優だけがお目当ての映画もあるのでしょうね。

1 1999年5月4日(火) 「恋に落ちたシェークスピア」「女と女と井戸の中」
2 1998年8月13日(木) 「仮面の男」「リーサル・ウェポン4」「ホームアローン3」
3 「SADA」「F(エフ)」(1998年4月12日(日))
4 大林宣彦「理由」日テレバージョンの不思議t
5 1999年4月28日(水) 「ライフ・イズ・ビューティフル」「逮捕しちゃうぞthe MOVIE」「ブレイド」
6 1998年8月14日(金) 「フレンチドレッシング」「チェイシング・エイミー」
7 「アンナ・カレーニナ」「ゲット・オン・ザ・バス」(1998年4月19日(日))
8 「四月物語」「シーズ・ソー・ラヴリー」(1998年4月4日(土))
9 「犬神家の一族」ふたたび!
10 「FISHING WITH JONE」(第4〜6話)(1998年4月10日(金))
11 1998年7月28日(火) 「ボンベイ」「不夜城」「ゴジラ(日本語吹き替え版)」
12 僕が選んだ1999年ベストテン+お気に入り10本
13 1998年8月16日(日) 「キリコの風景」
14 1999年4月11日(日) 「アルマゲドン」「グッドナイト・ムーン」
15 1998年8月9日(日) 「孤独な場所で」「グラン・ブルー<オリジナル・バージョン>」

16 1999年6月20日(日) 「サイモン・バーチ」「タンゴ」

 1位はさすがアカデミー賞受賞作「恋に落ちたシェークスピア」の人気だろう。ジョセフ・ファインズやグゥイネス・パルトロウ、それにジュディ・デンチまで出ていて脚本だけでなく役者の面白みでも魅せてくれる映画だった。

 2位は「ホームアローン3」の人気と言いたいところだが、当然ながら「仮面の男」。それもレオナルド・ディカプリオ人気なんだろうなと思いつつも、いやいや、やはり四銃士の顔ぶれの濃さが玄人受けしているんだろうとあらためて思う。なにせジェレミー・アイアンズ、ジョン・マルコヴィッチ、ジェラール・ドパルデュー、ガブリエル・バーンの取り合わせだ。当分これ以上の配役はないだろうと思えるのだが、ならばディカプリオ抜きの純粋な四銃士ものを彼らで見たいと思う人は少なくないだろう。

 3位ははてな?熊川哲也が出ている「F(エフ)」だろうか。取り立てて面白い映画ではなかったし、奥山プロデューサーの秘蔵っ子・羽田美智子の大根ぶりは金子修介監督であってもフォローしきれていない。

 4位は大林監督の力作「理由」の改悪とも言える日テレバージョンについて感想を述べたものだ。ところが実は本編の途中をちょびっとだけ見ただけでちょっと食わず嫌いになってそのまま寝かせてしまった。いまもうちのDVDレコーダーに保存されたままだ。そろそろ見ないときちんとした批評もできやしない。

 5位は「ブレイド」人気なのは承知の上だが、「逮捕しちゃうぞthe MOVIE」の完成度の高さをぜひもっとみんなに知ってもらいたい。アニメフリークでもなんでもないが、このアニメだけは映画として十分批評に値する出来なのだ。

 7位は「アンナ・カレーニナ」で改めてソフィー・マルソーの美しさに出会ってほしい。「ゲット・オン・ザ・バス」でスパイク・リー監督の底力を知ってほしい。

 8位は「シーズ・ソー・ラヴリー」の愛情の生々しさと、「四月物語」のもどかしくもほのかな初恋の初々しさとを比較してみても面白い。

 9位は石坂浩二の金田一耕助復活のビッグニュース!とにかくいろんな意味で興味深い。

 13位の「キリコの風景」。現在ドラマ「神はサイコロを振らない」でとぼけた味わいを出している小林聡美がヒロインを演じている。彼女は存在感があるというよりは、近頃のアイドル女優に欠けているユーモアのセンスがあふれている。得難い存在である。夫・三谷幸喜は妻を使いこなす脚本を書かないのだろうか?

 14位「アルマゲドン」はどうでもいい。「グッドナイト・ムーン」の主役三人に注目。スーザン・サランドンの元妻とジュリア・ロバーツ演ずる妻との間で板バサミになるエド・ハリスの三枚目ぶりが楽しい。

 15位の「グラン・ブルー<オリジナル・バージョン>」。この映画の長さについてはやはり気になる。オリジナル・バージョンだと冗長さはなくなるがマイヨールと恋人のクライマックスの感動が薄れる。完全版はどうみても途中がだれる。あの中間に答えがあるのだが思うのだが、編集を考えた映画作りができないのはリュック・ベッソン監督の特徴かもしれない。

 そして16位。トリを飾るのはカルロス・サウラ監督「タンゴ」。「カルメン」とあわせてもう一度観たい映画だ。

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2006年01月30日

「犬神家の一族」ふたたび!

 市川崑監督がふたたび「犬神家の一族」を自作リメイクするという。しかも驚いたことに金田一を石坂浩二でやるそうだ。これは尋常ではない。尋常ではないが何故かときめく。

 あのケレン味にあふれた角川映画第1作「犬神家の一族」が上映されたのがちょうど30年前。市川監督は60才。石坂浩二は34才だった。特に石坂浩二は脂がのったというのとは無縁の万年青年らしさを前面に押し出して、知性を押し隠すいわばコロンボのような飄々とした探偵役を見事に演じた。あれから30年。もうあの頃の若さはとうの昔になくなっている。しかし石坂浩二ならばなんとかしてくれる。そう期待しないでもない自分がいる。

 市川崑監督は自作をリメイクするのは、今回が初めてではない。例の「ビルマの竪琴」を白黒版とカラー版で撮っている。たしか冒頭、原作からの文章が朗読され「ビルマの土は赤い。それは戦場に散った兵士たちの血で彩られている」というような作品の重要なモチーフが語られる。それでいつの日か白黒ではなくカラーで撮り直したいという監督の執念がリメイクにつながったと当時聞いたような気がする。ただしそれとは関係なく、忠実に前作の脚本をなぞったリメイクを見ると、白黒版の方がよかったという気がしたのだ。それはやはり監督のモチベーションと見る側のモチベーションの隔たりというものかもしれない。

 で、今回の「犬神家」である。果たして監督のモチベーションはどこから来ているのか。うがって考えてみると、やはり90才という高齢。一作一作がこれで最後という気持ちにならざるをえないだろう。本人のやる気と担ぎ出したプロデューサーの下心がどの程度の比率かわからないが、それにしても監督には金田一耕助シリーズでやり残した思いがあるのかもしれない。

 というのも例の「八つ墓村」でトヨエツを使って仕立て上げた新・金田一はお世辞にもいい出来とは言えなかったからだ。あの作品の失敗は僕に言わせればひとえにトヨエツというキャラクターが金田一耕助に不向きだったからだとしか思えない。やはりどうしたって同じ監督がやるからには、彼の中には石坂演ずる金田一のイメージがあっただろうが、トヨエツ当人を見知ってもいないお仕着せの配役から、かつての情熱ある作品作りを期待する方が無理というものだろう。

 では今回はどんな金田一作品で締めくくる事になるのか。新しい手法も取り入れるとの事だが、できれば加藤武と大滝秀治は同じ役でキャスティングしてほしいものだ。惜しむらくは三木のり平が世を去ってしまっている事だ。彼に変わる人材を思いつく事は難しい。

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2005年12月06日

女優の原ひさ子さん死去

 原節子ではない。原ひさ子。と言っても若い人はピンとこないかもしれない。長らく「おばあちゃん」役で脇を固めてきた女優さんだ。96歳。まさに見た目通りのおばあちゃんだったわけだが、1933年に舞台女優でデビューしているから芸歴70年余り。大往生と言っていいか。

 脇役をずっと務めて、特に寡黙で優しそうなおばあちゃんのイメージを繰り返し繰り返し演じてきた印象があるので、どの映画やテレビドラマに出てきたかという事より、どんなドラマでもおばあちゃんとしてそこにいたような気がする。主な出演映画リストをググってみたが、僕が印象に残っているのはたった二つ。

 市川崑「悪魔の手鞠唄」
 テレビドラマ「踊る大捜査線」

 「悪魔の…」をごらんになった方はああそうかと納得するだろう。まさに殺人の見立てとなる手鞠唄を思い出しては金田一の前で歌い出し、肝心の3番目の歌詞は思い出してくれないで周囲をやきもきさせる刀自を演じた。

 「踊る大捜査線」の方はテレビシリーズの最終回。最後の最後に現れる。織田裕二扮する青島刑事が現場の判断で動いた責任をとらされて巡査に降格された派出所で、あの御利益ありまくりの御守りをくれたおばあさんと再会を果たしてベンチで話し込むラストシーン。あのおばあちゃんこそ原ひさ子だった。青島が御守りに助けられて犯人を取り押さえた話をおっかなびっくりで聞くどこにでもいそうな人の良さそうなおばあさんが、まさにどこにでもいた原ひさ子さんのかかせない役どころだった。

 ご冥福をお祈りします。
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2005年11月09日

大林宣彦「理由」日テレバージョンの不思議

 実はちょっと楽しみにしてました。ちゃんとDVDレコーダーで予約録画してたし。でも最初の方をちょっと見て唖然。これって本当に大林宣彦監督の「理由」ですか?

 この言わずとしれた宮部みゆき原作の問題作を圧倒的な力業で見事に再構成したのが大林監督の「理由」だった。もちろん日テレバージョンではない。WOWOWで最初に放映された時のバージョンの事だ。この映画は映画館で上映されるために作られたものではなくWOWOWが制作してWOWOWで放映された映画だった。

 もう一年前ぐらいになるだろうか。あの「理由」が大林監督の手によってどんな風に再創造されるのか楽しみにしていた。話題となったのは出演者全員がノーメークで化粧を落として素の表情を生かすことでドキュメンタリー性を強く打ち出すという日本映画としては前代未聞の手法だった。

 元々宮部の原作が既に終わっている事件を再構成していくというルポルタージュ形式をとっているために、関係者のエモーションは極力抑えられ事件全体から立ちのぼってくる社会性や人間関係の複雑さがひときわ際だって見えた。その原作の勘所を間違いなく大林はつかまえていて、俳優が演じるエモーションとしてのドラマを極力排除するためにノーメークという方法を選んだ。だからこれをノーメークという一種のメークととらえると本質を見誤る。大林は事件そのものの不気味さ、社会の歪みにひときわリアリティを与えるために逆に役者の演じるドラマを封じたのだ。

 だが、今回まだ全貌は見てないが一部を見ただけで、日テレバージョンと称する映画はオリジナルの大林作品とは似ても似つかぬものになっている。画面をおおう字幕の数々。上部に扇情的な見出しが付き、登場人物、場所、建物、時間のいちいちにネームが入る。さらにはご丁寧に登場人物がしゃべっている会話に現れる人物の名前も画面にかぶさり、さらにさらに会話の要約・要点が字幕としてインポーズされる。

 この字幕の過剰さは一体なんなのだろう。オリジナルの映画は原作同様登場人物がかなりの数にのぼるが決してストーリーを追うのが難しい作品ではない。大林監督はこの手の登場人物が多い映画作りに慣れているため、本当に見事な手際であの原作のシチュエーションをコンパクトに映画の中に再現している。ではそのままでいけないそれこそ「理由」とは何だったのだろう?

 答はオリジナルの160分という上映時間の長さにあると思われる。これはテレビの2時間ドラマ枠にはとうていおさまらない。2時間ドラマならばせいぜい正味100分程度が限度だ。とすると一時間分を編集でカットしなければならない。そのための苦肉の策が、新たなシーンの追加とさきほど説明した過剰な字幕の数々というわけだ。

 しかしそのおかげで、元々の映画のもつ登場人物のエモーションの抑制は扇情的な字幕の数々によりだいなしとなる。文字通り、文字が何事かを語り出すだすのだ。それは決して作品をわかりやすくする方向になっていないだけでなく、かえって元々の映画のドラマの進行を断ち切ってしまっている。何故こんな事をしなければならなかったのだろう。

 昔、黒澤明は撮り終えた「白痴」が5時間近くの長さになったため映画会社は黒澤に編集を命じた。黒澤は「切るならフィルムを縦に切れ」と声を荒げて映画会社を非難した。「白痴」のオリジナル版はもはやこの世に存在しない。大林オリジナル版はもちろん存在する。DVDで見ることもできるだろう。でもこの日テレバージョンを見てしまった人とオリジナル版を見た人とは同じ映画を見たと語り合う事はできない。オリジナル版がいいだけに悔やまれる
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2005年10月23日

2005年9月アクセス解析

 アクセス解析とは、毎日このブログを訪れる人がどんな記事を読んでくれたのかをカウントする機能だ。これを積み上げると一ヶ月の間にどんな記事が読まれたのかという傾向がわかる。
 このサイトでは映画の紹介しかほとんどしていないので、要するに人気映画のランキングという事になるか。それとも僕がトップページに1999年と1998年のベストテンを載せているので、そこのランキング上位の映画にアクセスが集中しているかもしれない。
 いずれにしても、このブログを訪れた人たちがどんな映画に関心があるかがわかって面白い。

1. 1999年4月29日(木) 「永遠と一日」「トゥエンティフォー・セブン」
2. 1999年2月27日(土)「スネーク・アイズ」「ボクらはいつも恋してる!金枝玉葉2」「BAR(バール)に灯ともる頃」
3. 1999年2月7日(日) 「6デイズ7ナイツ」「ワン・ナイト・スタンド」「ニンゲン合格」
4. 「がんばっていきまっしょい」あるいはなっちゃんの「坊ちゃん」
5. 1998年12月19日(土) 「ナイトウォッチ」「アンナ・マデリーナ」「ルル・オン・ザ・ブリッジ」
6. 1999年4月11日(日) 「アルマゲドン」「グッドナイト・ムーン」
7. 僕が選んだ1999年ベストテン+お気に入り10本
8. 「鉄塔武蔵野線」あるいはもうひとつの「電車男」
9. 1998年10月11日(日) 「アイス・ストーム」
10. 1999年4月25日(日) 「シン・レッド・ライン」
11. 1998年11月18日(水) 「マイ・フレンド・メモリー」
12. 1998年10月31日(土) 「フラワー・オブ・シャンハイ」「河」「エル・スール」
13. 1998年11月29日(日) 「ダークシティ」
14. 1998年12月5日(土) 「原色パリ図鑑」「ぼくのバラ色の人生」「ニルヴァーナ」
15. 1999年3月28日(日) 「リトルシティ 恋人たちの選択」「コキーユ 貝殻」

さて映画の中身については、それぞれの記事を読んでもらうのがいいと思う。ここでは俳優や監督の話をしよう。

 「永遠と一日」主演のブルーノ・ガンツ。
 最新作「ヒトラー最期の12日間」でヒトラーを演じ、今度は日本映画に出演すると話題になっているいまや押しも押されぬ名優だが、そもそもはヴィム・ヴェンダースの「アメリカの友人」やヘルツォークの「ノスフェラトゥ」で知った俳優だった。人なつっこい表情が特徴的で若いときから渋く味わいが感じられる役者だった。
 特にアラン・タネールの「白い町で」の港町でひたすら8mmカメラを回し続けて心象風景を撮る男を演じたのが印象的だった。彼の人間味溢れる演技を決定づけたのがヴェンダースの「ベルリン・天使の詩」だ。その後、エリック・ロメールのコスチューム・プレイである「O侯爵夫人」にも軍人役で出演している。

 「BAR(バール)に灯ともる頃」の監督エットーレ・スコラ。
 1998年公開の「星降る夜のリストランテ」を最後に新作がきていない。来たら必ず見たい作家の一人だ。最初の出会いは「マカロニ」だったか「ル・バル」か。どちらも印象的な映画だった。「マカロニ」は名優ジャック・レモンとマルチェロ・マストロヤンニの二人が丁々発止を繰り広げる本当に心から笑えて心温まる映画だった。「ル・バル」の方はダンス・ホールで踊る人々を描く室内劇で、各時代を遡って歴史的事件などをからめながら同じ役者がいろんなシチュエーションで人間ドラマを演じる。時代とともにダンスが変わるところが面白い。それ以外にも若き日の情熱を描いた「あんなに愛し合ったのに」。人間群像劇「ラ・ファミリア」、そしてソフィア・ローレンとマストロヤンニがヒトラーのイタリア訪問の時に一室で愛し合う「特別な一日」など、どれをとっても見事な映画職人の手にかかった映画ばかりだ。

 「アイス・ストーム」の監督アン・リー。
この人も大好きな監督だ。ワイヤー・アクションが笑える「グリーン・ディスティニー」や「ハルク」など、ハリウッド進出してからの映画の方が知られているが、台湾でとられた「恋人たちの食卓」は面白かった。娘3人が成人して親離れしているのに、妻に先立たれた父親の家に毎日曜日訪れる習慣になっている。名料理人だった父も老いて腕が落ちてきている。3人の娘はそろそろこの習慣もうとましくそれぞれに自分の人生に忙しくなっているが、それでも父を思いやって続けている。やがてそれぞれが恋に落ち、一人去り二人去り最後の一人が去る。この稀有なシチュエーションで家族映画をとれる手腕の持ち主で、「推手(すいしゅ)」や「いつか晴れた日に」も家族映画の名作だ。特にオススメはジェーン・オースティン原作である「いつか晴れた日に」だ。

 あとは「フラワー・オブ・シャンハイ」の侯孝賢(ホウ・シャオシェン)監督や、「河」の蔡明亮(ツァイ・ミンリャン)1などについてもしゃべりたかったがまたの機会にしよう。

 
posted by アスラン at 02:38| Comment(0) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月16日

祝・TVドラマ「エラリー・クイーン」放映決定!

 ようやくCSミステリーチャンネルのサイトに簡単なお知らせが載ったので、もう解禁とみていいだろう。
(2005/9/04に書いた記事です。すでにクイーン特集番組が放映されたはずです。)

 あの知る人ぞ知る海外ドラマ「エラリー・クイーン」がついに10月からCSで放映されます。といってもCS見られないので、会社の友人に頼んで友人はさらにCS視聴している友人に頼んで録画する算段をつけました。いやぁ、これで見られると思うと感無量!

 もちろん今回が初見ではない。1978年9月20日1:05AM.放送開始という当時としては異例の深夜枠での放送を、毎週今か今かと高校生の僕は待ちかまえていたのだった。

 何故こんなにも詳細な日付が言えるかというと、ミステリーファンというよりクイーンファンであった高校生の僕はなんとあまりの興奮からか、ドラマの内容を毎週書き残そうとしていたのだ。初回は始まる一時間前にノートに「序」まで書いてしまい、エラリー・クイーンの作品との出会いから書き始めて、こんな文句で結んでいる。

 ここに、世紀のイベント、テレビムービー「エラリークイーン」が始まることに、私は盛大なる喝采を送ることを惜しまない。又、深夜1時といういかんなる時間帯ではあるが、企画を組んだ、局に感謝の辞をおくるものである。−昭和53年9月20日12:00−


 12;00は午前零時の間違いだ。局に感謝するなど偉そうに何様だと今の僕は高校生の自分につっこみを入れたいところだが、まあそれほど嬉しかったわけだ。

 さきほどのミステリーチャンネルのお知らせを見ると「1976 Universal City Studios LLLP」の文字が見える。アメリカNBCで放映されてから2年後に日本で放映されているから、当時としてはかなり力を入れて放映していたのだと、今さら気づいた。

 何しろビデオが庶民に不朽するのはまだまだ先の事。当時は本放送をみるしかなく、しかも深夜1時というのは今のように普通の高校生が夜更かしして見られるような時間ではなかったから、かなり苦労して家族が寝静まったのを確認してからそっと居間のテレビだけをつけて見ていた。だから正直この時間帯の放映は恨めしかった。同じミステリードラマの「刑事コロンボ」と比べると片やNHKの土曜のゴールデンタイムだから、扱いが悪いなぁと思ったものだ。

 ちなみにプロデューサーは「コロンボ」と同じ、リチャード・レビンソン&ウィリアム・リンクの二人。放送が始まって、時代背景の古さやキャスティングの地味さから「コロンボ」よりも前に作られた海外ドラマだと今の今まで勘違いしていた。逆に「コロンボ」のヒットで乗りに乗っていた彼らが原作の雰囲気をそのまま再現した1940年代のニューヨークが舞台のドラマだったわけだ。

 クイーン役はジム・ハットン。実の息子が「普通の人々」「タップス」などで後に映画俳優として名をなしたティモシー・ハットン。最近では「探偵ネロ・ウルフ」でウルフの片腕役を演じている。お父さんのジム・ハットン演じるエラリーは、原作のインテリでニューヨーク育ちのヤンキーというイメージとはほど遠く、線の細い気のいい兄ちゃんといった風貌で少々肩すかしをくらった。それにひきかえクイーン警視の方は原作通りの頑固でタフだが息子に甘いという父親像そのものだった。

 ちょっと面白いのは、このシリーズで推理を競う推理小説家ブルマーというライバルがちょくちょく登場する。何が面白いってその風貌である。ハヤカワポケットミステリーを読み慣れている人ならすぐにピンとくるはずだ。誰あろうディクスン・カーその人にそっくりだから。クイーンとカーはアメリカを代表する本格推理作家の巨匠だし、活躍した年代も同じ。実際に交流もあったから、これはとっても楽しい趣向だった。

 最初に当時の僕はドラマの内容を書き留めていたと書いたが、全作放映されていれば24本ある。だから24本のあらすじが残っているはずだが、残念ながら第6話までしか書き留めていない。何故残ってないかまったく記憶にない。全放映を見たのかどうかも覚えがない。やはり受験を控えた高校生には厳しかったのかもしれない。

 なにしろ修学旅行に出かける前日(いや正確には当日だ)にも見てしまい、一日目の電車も、移動のバスもほとんど眠っていた。おまけにバス酔いしてしまい、着いたホテルの夕食で出たきりたんぽ鍋(行き先は青森・十和田だった)がほとんど食べられず、さんざんだった。

 ついでに言うと、帰りは青森発の寝台車だったが、僕は友人相手にクイーンの短編のネタを話しては謎解きをせまるという遊びに興じて夜を明かした。当然ながら行きも帰りも冴えない顔つきの写真しか残っていない。

 さて本編だが、「コロンボ」のような犯人を追いつめているドラマの面白さとは対照的に、純粋にパズルミステリーの面白さを中心に据えて最後にクイーンの国名シリーズよろしく「読者への挑戦」ならぬ「視聴者への挑戦」を挿入するといった、お遊びに満ちた作品だった。

 だからと言ってはなんだが深みのあるミステリーを期待すると肩すかしを食う。パズル(謎解き)がメインなので、人間ドラマはほとんどない。そうだ、コナンや金田一少年のようなミステリーアニメの原点だと思ってもらえばいいかもしれない。

 以下、本放送の第一話を採録する。
 解決編も載せるが念のため、ネタばれしないように配慮するのでご注意を!


第1話「蛍の光の冒険」

大晦日も大詰め。あと2時間で新年を迎えようというころ、ブロードウェイのアスタービル26階でリチャード警視はエラリーを待っていた。別の席では、大金持ちのマーカム(Mercom)を中心に、息子のフレッド(Fred)、その婚約者のベティ(Betty)、マーカムの甥クインシー(Quency)、共同経営者のベイカー(Backer)、秘書のゼルマン(Zelman)と婚約者マイク(Mike)が座っていた。マーカムは他の者に自分の遺産を相続させないと断言して席を立った。

 その15分後、マーカムは電話室で倒れて死んでいた。電話はかけた途中であった。相手というのが、なんと葬儀屋であり、しかも彼はマーカムをまったく知らないし、同席していた者たちにも、その葬儀屋に面識のある者はいなかった。マーカムは声帯ごと首を切られ、声が出せなかった。そして、死ぬ間際に葬儀屋へ電話したらしい。

 エラリーが着いた。彼は、すぐにも解決を導いた。まず、来た早々上記の同席者たちと、葬儀屋の男を前にして、その葬儀屋の電話をかけた。エラリーは葬儀屋の電話番号を知らなかったが見当はついたと言うのである。

 さて誰が犯人か?そして何故エラリーは葬儀屋の電話番号がわかったのか?

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* 以下、ネタばれします。ご注意を!*
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posted by アスラン at 00:26| Comment(0) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月08日

三百人劇場が無くなる!

 三百人劇場が来年2006年末で閉館・取り壊しだそうだ。僕にとっては思い出深い劇場がまた消えてしまう。

 今年の春先にみゆき座が無くなるというニュースが飛び込んできて、居心地のいい映画館が一つ消える寂しさを味わった。もちろんここで言う居心地が、座り心地や観やすさ、便利さに集約される昨今のシネコンの居心地とは同じものではない。ここに来ればいい映画に浸れるという安心感と言えばいいか。

 ニュース直後の3月一杯で閉館と言うあっけなさ。そのあとは芸術座ともどもビルごと取り壊されたはずだから、今頃は新しいビルの工事中だろうが、日比谷に1年近く足を運んでないから今度出向いた時は、素晴らしいしかしどこかよそよそしいビルと周辺に変わっていることだろう。

 そして今度は三百人劇場の閉館のニュース。まだ来年の事だが残念だ。あそこで催された渋い映画特集の企画に何度か通い詰めた。

 今はなきアート・シアター・ギルド(ATG)の秀作の数々に出会ったのもここだ。たぶん相米慎二の『台風クラブ』を名画座(今となっては懐かしい死語だ)で見て、あまりのデタラメさと稚拙さに怒った直後に高校の無二の親友にあれはすごい映画だと逆にやりこめられて、もう一度この劇場の特集で見直した。

 よかった。何故デタラメさばかりに眼が行ったのだろう?

 こんなに台風を象徴的に描いた映画はなかった。象徴的? そうか、例によって僕は「見えるものだけをただ見える」と声高に言いつのるだけだったのだ。

 詩の才能のあった友人はアッケラカンと「デタラメだからいいんだ」と台風で学校に足止めされた少年少女たちの踊りを褒め、同じ踊りの稚拙さに僕はダメ出しをした。曰く感性がないと。今なら言えるが相米の骨太の演出に「感性」という批評ほど似合わない言葉はない。

 しかも名画座で見た『台風クラブ』はラストの重要な部分がカットされている事を知って、改めてこの劇場の企画のありがたさを理解したのだ。

 同じくタルコフスキーのソビエト時代の作品の数々を見たのもここだった。僕が大学生の頃は、TSUTAYAもないしレンタルビデオも個人経営がほとんど。タルコフスキーが店頭に並ぶビデオ屋など数が知れているし、置いていたにしても当時すでにカルト扱いされていた「惑星ソラリス」短縮版があれば御の字だった。水草が池の中を漂い眠りを誘うシーンもほとんどワンカットだったし、伝説となった首都高を未来カーが疾走するサイバーパンクなシーンもばっさり切られたバージョンしかなかった。だからタルコフスキーを見たければ三百人劇場のような特集を組む劇場に直接足を運ぶしかない。

 三百人劇場で確実に見た記憶があるのは「アンドレイ・ルブリョフ」「ローラーとバイオリン」だ。「ルブリョフ」の方はイコンという宗教画を描いた15世紀のロシアが生んだ芸術家の生涯を描いた作品だが、タルコフスキーらしく人生そのものが晦渋に満ちた旅であったひとりの芸術家を徹底的に描いていた。余談だが「ローラー」の方は、僕と友人は内容を見るまでずっと「ローラ」という少女とバイオリンのイメージを持ち続けていたので、整地するローラーが出てきた時は二人で唖然としたものだった。

 そのほかちょっと日記を調べてみると、

 大林宣彦「廃市」
 石井聰互「狂い咲きサンダーロード」
 隹洋一「十階のモスキート」
 長谷川和彦「青春の殺人者」
 トリュフォー「緑色の部屋」
 「真夏の夜の夢」(ロイヤル・シェイクスピア・カンパニー版)
 ヴィスコンティ「山猫」

などを見ている。

 それと、この劇場は劇団「昴」の拠点でもある。海外ドラマ『ER』のカーターの声でおなじみの平田広明が所属している劇団だ。一度だけ「アルジャーノンに花束を」の舞台を見に行った事がある。すでに彼がカーターの声をやり始めていた頃だったから、彼のチャーリー見たさに女性ファンで会場が満員だったのをよく覚えている。

 もうひとつ思い入れを付け加えるとすると、三百人劇場は僕の母校である高校のちょうど裏手にある。高校在学の頃は非常に地味でひっそりとしたたたずまいの劇場に足を運ぶ事はなかったのだが…。

 残念だが、時の流れとはそういうものだ。僕と友人が三年間通った校舎も今はない
(「カンガルーは荒野を夢見る」2005/09/19記事より転載)
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2005年10月06日

ロバート・ワイズとは何者だったか?

 どうも不思議でしょうがない。「ウェスト・サイド物語」「サウンド・オブ・ミュージック」が同一の監督の手になるものだという事が、だ。

 
ロバート・ワイズ監督死去。享年91歳。


 同世代の監督にビリー・ワイルダーやウィリアム・ワイラーがいるが、彼らを語る言葉は多くてもロバート・ワイズがどんな監督であったかを語る言葉は少ないような気がする。

 今回の死亡記事でも、
 「職人的な質の高い作品」
 「戦争物からSFまで幅広いジャンル」
 「多様な作品」
などの文言で飾られている。

 そして何より2度のオスカー受賞。どちらもミュージカルだったこともあって「ミュージカルの巨匠」と見出しを打った記事まであったが、それは言い過ぎだろう。後にも先にも彼がとったミュージカルはこの2本だけのようだし、どちらも従来からあるエンターテイメントのミュージカルとはかなり毛並みの違った作品を撮った事は確かだから。

 そのせいなのか、記事の表現も微妙に違っていて、何故かどれも的を射ていない。

「サウンド・オブ・ミュージック」だと、

「ナチスの手を逃れるトラップ一家を描いた」(アサヒコム)
「オーストリアの壮大な自然と、修道女と子供たちの触れ合いを感動的に描き」(日刊スポーツ)
「「ド・レ・ミの歌」「エーデルワイス」などで有名な」(読売新聞)

などと書かれている。どれも帯に短しという感じだ。

 とにかくワイズは職人作家であった事は確かで、それが様々なジャンルに繋がっているし、何より2つのあまり似ていないミュージカルを作ってしまった理由なのかもしれない。

 改めてフィルモグラフィーを眺めてみると、意外と知っている作品は少ない。そして知っている映画がこれまた意外で、

 「アンドロメダ…」(1971)
 「スタートレック」(1979)

のどちらもSF映画だ。

 特に「アンドロメダ…」の方は、ミュージカル2作と同様、当時のテレビでイヤというほど繰り返し放映されたので、SFというとこれ!という刷り込みが僕の中で完了してしまっている。

 宇宙から来た病原菌に接触するとたちまち血液が凝固してしまうというSF版「アウトブレイク」で当時小学生の僕の恐怖を誘い、赤ん坊と酔っぱらいの二人だけが何故か助かるという本格ミステリー並みの謎に惹きつけられ、最後には隔離された施設の自爆装置の解除というサスペンスに本当にハラハラさせられた。あれこそがワイズの職人としての腕のみせどころだったのかもしれない。原作がマイケル・クライトン。ホントに息の長い作家だが、一言言わせてもらうと、どうしても赤ん坊と酔っぱらいだけが助かる理由が「アレ」とは納得できないんですけど…。

 ところで生涯で撮った映画が39本。オスカーの2作品が飛び抜けていて、その他の映画にビッグヒットはなかったような感じだ。いや僕の不見識なのかもしれないが。それにしても1979年に映画版「スター・トレック」を撮ってしまうところを見ると、あまり作品に対するこだわりはない監督なのかもしれない。正直ワイズ監督じゃなくても誰がやっても「スター・トレック」というブランド映画になってしまうはずだから。

 最後に2本のミュージカル映画について。

 「ウェスト・サイド物語」の方はスクリーンで見たことはなく、もっぱらテレビばかりだ。そのせいか今見ると当時はスタイリッシュと言われたはずの踊りが鼻につく。舞台ならまだしも映画であれをやられると退いてしまう。

 「サウンド・オブ・ミュージック」は10年前(になっちゃうか、もう)に銀座文化劇場で観た。「アラビアのロレンス」や「2001年宇宙の旅」などシネスコが流行していた頃の映画をリバイバル上映してくれたので大変ありがたかったが、その中で「サウンド・オブ・ミュージック」はシネスコである必要があまり感じられない作品だった。出だしの空撮による俯瞰撮影とラストのアルプス越えのシーンがシネスコに見合うシーンだが、あまりうまい撮影ではなかった。「オーストリアの壮大な自然」という記事があったが、壮大だったのはこの部分だけだ。

 けなしているようだが、その欠点があったとしても「サウンド…」はミュージカル映画史上燦然と輝く映画であることは間違いない。もちろんジュリー・アンドリュースなくしては語れない作品であることも確かである。決して美人とは言えない彼女を型破りな修道女に仕立て上げて、女の魅力ではなく中性的な女性の奮闘する姿をいじらしくみせたのは、やはりワイズ監督の手柄だろう。

 冥福を!
(「カンガルーは荒野を夢見る」2005/09/20記事より転載)
posted by アスラン at 01:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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