2012年06月22日

ペーパーチェイス(1974年)

 HDDレコーダーを買い換えたおかげで、お気に入りの映画、昔見た記憶のある映画、気になっている未読の映画などを片っ端から録画してしまって、今や映画のフォルダーの下に26本近くの映画が貯まっている。見る方も軽快に見ていかねばならない。ツタヤのレンタルで「チャック2ndシーズン」ばかり見ている暇は、おまえにはないぞ〜。

 マイケル・サンデル教授の「白熱教室」が日本でも大ブームになった理由の一つには、「公共哲学」という学問のエッセンスを素人にもわかりやすい〈おもしろさ〉で括っている点にあるのは確かだが、もう一つ見落としてはならないのは、サンデル教授自身の人となりである。従来の居丈高な教授像とは違って、親しみやすく近づきやすい身構えを崩さない点がなにより大きい。

 そんなとき久しぶりに「ペーパー・チェイス」を深夜放送で観た。階段教室に生徒がぎっしりと詰めている冒頭シーンに「ハーバード法科クラス」の字幕がかぶさったときには、思わずどきっとしてしまった。そうか、この映画のモデルもハーバード大学だったか。そして1970年代には、まだハーバードの権威は絶大だったのかと思い知らされる。

 いや、今でもハーバードの権威は相変わらずで、変わっているのはサンデル教授の教室だけって事か。彼の授業だけが、世間に大手を振って公開できるほどに並外れてフレンドリーだという事なのかもしれない。特にハーバード大学でも花形の学科である法学部の教授ならば、この映画のキングスフィールド教授のように揺るぎない自信に満ちて、未熟な生徒への敵意をあからさまにしているのかもしれない。

 いずれにしても、この映画を僕は今回同様に深夜枠で20年ほどまえに観ている。あのときと違うのは、当時は録画する機材などなかったという点だ。そういう意味では、逆に気楽に観ていた。なんとなく夜中に観る映画は何をみても面白いと感じる。とは言え、今回もHDDレコーダーに録りためた映画を観るのは、やはり会社帰りの深夜、あるいは週末に子供を寝かしつけた深夜になるのだから、20年前と状況はさほど変わっていないのか。

 この映画が僕の記憶に残っているのは、奮闘する主人公たち学生にではなく、恋人づきあいのつもりが、教授の娘だとしれて、そのうえ離婚訴訟中で、いま付き合えば不倫になってしまうやっかいな女性が、かのリンゼイ・ワグナーだからだ。今の若い人にはリンゼイ・ワグナーと言ってもわからないだろうが、70年代の人気テレビドラマ「地上最強の美女バイオニック・ジェミー」のヒロインとして人気を博した女優だ。たぶん「チャーリーズ・エンジェル」は映画でリメイクされて大当たりしたので馴染み深いだろうが、当時の僕が熱中したのは「チャーリーズ」ではなく「ジェミー」の方だった。

 路線としてはどちらもスパイ物で、その延長に近年の「チャック」が配置されるのだと思う。「バイオニック・ジェミー」は一種の改造人間だ。女性でありながらスーパーマンさながらの身体能力を発揮する事ができる。その設定が素晴らしく、ヒロインの容姿も抜群に魅力的だった。1974年公開ということは、TVシリーズ開始の3年前だ。まだ無名の女優だったか。

 「ペーパー・チェイス」は、学生を人間扱いしない教授の鼻をあかしたい認められたいの一心でもがき苦しむ主人公たち学生の姿を描いていく。密かに図書館に忍び込み、本来ならば厳格な閲覧許可が必要な教授の学生時代のノートを持ち出したのがばれて退学になり、それでも教授に思い知らせてやろうと一計を企むストーリーを思い描いた。思い違いだった。図書館に忍び込むところまでは合っていたが、「見つかって退学うんぬん」は僕の妄想だ。誰も退学にはなっていない。ただし、勉強についていけず学生結婚して妻が妊娠した事に耐えきれずに自ら去っていった学生のエピソードはあった。

 一番の山場は、なんとか教授の非人道的な仕打ちを乗り越えて卒業にめどを付け、それ以上にやっかいなリンゼイ・ワグナーとの恋愛も勝ち取り、最後の最後に学内のエレベーターに乗り合わせた教授に感謝の言葉を述べるシーンだ。教授が振り返って主人公の顔をちょっと見て言う。

「君の名前は?」「ハートです。」

 主人公は呆然とやり過ごすしかなかった。教授に気に入られようと努力した日々は全く無意味だったわけで、教授にとっての生徒は目の前に横たわる石ころや瓦礫にすぎなかったのだと、そのとき初めて思い知る。と同時に、自分の若さ故の甘さに気づいて教授の呪縛からも解放される。彼は十分に何事かを成し遂げたのだ。
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2012年06月15日

森崎書店の日々(2012/6/8ツタヤでレンタル)

 TSUTAYAの会員証の更新がやってきた。悩む。新作を含めてDVD一枚が無料レンタルできるからだ。何を悩んでいるかというと、無料で借りられるならば日頃借りない新作をぜひ借りようと決めているからだ。ところが、いざ借りようと思っても借りる当てがない。なにしろ映画を見なくなって、はや10年になる。今の映画状況がどうなっているのかわからない。いわば土地勘ならぬ”映画勘”が無くなってしまったのだ。もちろんハリウッド映画のビッグタイトルを選べれば何の苦労もないのだけれど、映画館通いをしていたときからして、大味な大作は夏休みとか正月休みに観る映画がどうしても見つからないときの控えにすぎなかった。無料レンタルなのに、やっぱり手が伸びない。

 やはり安全パイとして邦画をチョイスすることにした。今や洋画が人気で邦画が低迷するといういびつな状況はなくなり、映画の本数を見る限りは邦画は人気を取り戻している。だからといって映画業界が安泰なわけではないだろう。すでに弱小映画館は青息吐息の状態だ。あと十年もすれば、ゆっくりと映画館で映画を観る日々を取り戻せるかと思ったら、そのときは肝心の映画館も映写システムも根こそぎ入れ替わっているという事になりそうだ。

 それはともかくとして、全国でロードショーするような大作ではなく、気楽に観られて心にひっかかりが残るやつがいい。そんな選択肢で選ぶとそれなりに見つかるのだが、やはり失われた10年は大きい。どれが良さそうか、その1本が決められない。悩みに悩んだすえ、この作品を手に取った。本好きの常として原作は読書候補リストに挙げておいてはあるが読んではいない。今回観ておもしろかったら本も読もうという腹づもりだ。いや、面白くなくても原作は面白いのかもしれないと思って、やっぱり読みそうだ。それでもいい。

 主人公の女性・貴子はデザイン学校を卒業してOL勤め。彼氏もいるが、一年半つきあったところで「俺、結婚するから」と言われてばっさりと関係を切られてしまう。自分としては彼氏・彼女の関係だと思っていたのに男の方は単なる遊び相手に考えていた。「結婚する」と宣言しておきながら「別れよう」の一言もなく、「今夜どうする?」とさらなる関係をせまる男も男だが、言い返せない女も女だ。つまりは、そんな「自分に自信が持てない女性」が、この映画のヒロインだ。

 こういう関係が今の若い世代にとってリアルなのか正直わからない。一言で言えば「悪い男」にひっかかっただけだ。貴子がそこから立ち直れない理由も本当のところは理解しにくい。そういう打たれ弱い人間なのだから仕方ない。相手の男に怒りをぶつける事もできずに、身を引くように会社まで辞めてしまう。やれやれ…。

 そこに助け船を出してくれるのが、小さな古書店を経営している叔父だ。叔父の古本屋の二階に間借りさせてもらい、叔父が店を空ける時だけ店番をする。そんな気楽な日常を、貴子の母である姉に頼まれた叔父は貴子に提供する。貴子は叔父の行為に感謝する余裕もない。親戚らしきつきあいもそれほど交わしてこなかったのに、何故今になってと疎ましく思っている。しかも古本屋の二階はほとんどが古本の山で埋もれているのだ。

 やがて、本好きの常連さん、本屋街の中の喫茶店の人びとたちの気心に触れて、本でも読んでみようかなぁという気分になる。それまであまり本を読んでこなかった彼女にとって、傍らの山から無作為に選んだ古本は、彼女の心のぽっかりと空いたすき間をひたひたと埋めていく。

 ただし、本が虐げられ傷ついた心を癒やす特効薬になってくれるわけではない。本の効き目はじわじわと人生の長さと同じぐらいのテンポで効いてくるに過ぎない。長い目で見れば効き目を実感できるかもしれないが、貴子にとって必要なのは、今まさに自分を救ってくれる「何か」なのだ。コインランドリーでの彼氏に抱かれる白昼夢は忘れようとして忘れられない痛みであるとともに、取り戻せるなら取り戻したい救いでもあるのか。

 けっして出来がいい映画ではない。叔父が何に心を痛めて生きてきたのか、それをどう乗り越えてきたのかも最後まで描かれないにも関わらず、姪の貴子のことを「僕の天使なんだ」と言い切るセリフに込められたものを、この映画では何一つ描ききってはいないからだ。そして貴子の方も、どう立ち直っていくのか、そのためにどう自分に向き合っていくのかが、最後までよくわからない。前述したコインランドリーでの妄想シーンは、貴子が自分と向き合う問題の表れではあるがあまり分かりやすくはない。男にもてあそばれたという事に傷ついているだけなのか、本当ならば寄りを戻したいという未練なのか。おそらくは両方なのだと言いたい演出なのだとは思うが、そもそもこの映画には性の問題を本格的に持ち込む切り口がないので、最後まであのシーンだけが浮いたままで終わってしまう。

 僕は神保町という街をよく知っているからあの街にひとかたならぬ思いはあるが、あの本屋街を貴子にとっての”癒しの場”として描く事にはちょっと疑問を感じた。そもそも原作ではどう描かれているのかはわからないが、映画の中のヒロインは〈森崎書店の日々〉でどれだけ本が好きになったのだろう。そんなことも、実のところ映画ではよくわからない。貴子や叔父や神保町という街を描く一方で、同時に本のもつ魅力を描いていく事がもうひとつの大切な主題ではなかったのだろうか。もしそうだとするならば、この映画がそれに成功しているとはいいがたい。
posted by アスラン at 12:57| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 記憶の映画を探して | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月13日

さようなら恵比寿ガーデンシネマ

 恵比寿ガーデンシネマが来年早々1月いっぱいで閉館するそうだ。

僕の映画館めぐりは2000年を境にしてほぼ休止状態なので、最近のガーデンシネマの活況はよく知らないのだが、すくなくともすでに六本木のシネヴィヴァンはなくなり、俳優座のシネマテンも当然ながらない状況で、恵比寿ガーデンシネマはミニシアターの先駆けとして、よく頑張った方かもしれない。

何しろ恵比寿という土地柄はそもそも映画とは無縁で、もっぱら新宿や渋谷に映画館は集中している。そこでしか見られないというスクリーン小さめで独特な配給体制をとるミニシアターだって、渋谷の文化村周辺に行けば、当時はいくつもあった。何も辺境の恵比寿のどんづまりでやる事はないだろうにと、映画好きにとっては当時うらめしかった映画館に違いない。

なにしろ、恵比寿ガーデンシネマはガーデンプレイスの奥の方にひっそりとたたずんで、映画フリークたちを待ち構えている。今は当たり前になった動く歩道がJR恵比寿駅から延々と続き、それをこらえきれずに高速で歩き飛ばすのがお約束のアプローチだった。

 このブログに掲載した当時の映画日記から恵比寿ガーデンシネマで観て書かれた文章を抜き出してみた。どれもこれも個性的で面白い映画だったように思う。実はガーデンシネマのオープニングを飾った ロバート・アルトマン監督作品の「ショート・カッツ」も観ているはずだが、感想を残しそこねた。あれほどゴージャスな偶像映画はなかなかお目にかかれない。そう、恵比寿ガーデンシネマは映画ファンにとって垂涎の「ゴージャスなごちそう」を提供し続けてくれたのだ。

どうもありがとう。お休みなさい。また、帰ってきてください。

「スウィンガーズ」(1997年9月14日(日))
 恵比寿ガーデンシネマで「スウィンガーズ」(no.31)を観る。

 この映画館で観るのはおととしの「スモーク」以来だ。日曜の2:00なので人出はずいぶんあるが予定の回は満席ではなかったので一安心。

 ハリウッドにやって来た無名のコメディアンのマークとその仲間の友情物語。マークは6年つきあった彼女に振られて失恋の痛手からなかなか立ち直れない。仲間は慰めるかのようにべガスに誘ったり、ビバリーヒルズのモデルのパーティーでのナンパに誘ったりする。

 せっかく女の子から電話番号を聞き出しても、最低3日は待てというアドバイスを無視して、その晩のうちに留守電に5度もかけて「2度とかけないで」なんて言われてしまう。

 哀しいくらい純情でロマンティストなマークに明るい明日は来るのだろうか。いや、それが来てしまうんだな、これが。

「マッド・ドックス」(1998年1月25日(日)) 
 食事後、恵比寿に移動。恵比寿ガーデンシネマで「マッド・ドックス」(no.12)を観る。

 ギャングの大ボスが精神病院から戻ってくる。彼のいない間に好き勝手やっていた子分やライバルたちは戦々恐々として彼を待ち受ける。ギャング映画だけれどブラックユーモアが強いコメディになっている。

 ギャングのボスがあのリチャード・ドレイファスだし、ボスの女に手を出してしまった男にジェフ・ゴールドブラムだ。その他出てくる人がアクの強い個性派俳優ばかり。

 ストーリやカメラワークはちょっと誇張がすぎるが、昔のハリウッド映画のようで面白い。

「スリング・ブレイド」(1998年1月31日(土))
 恵比寿ガーデンシネマで「スリング・ブレイド」(no.15)を観る。

 幼い頃、母親と不倫の相手とを鉈(スリング・ブレイド)で殺害して精神病院に収容されたカールは25年後に退院する。

 病院で穏やかな日々を過ごした彼は病院以外行く所がないが、知り合った少年フランクの家のガレージにすまわせてもらう。父の面影を求めて慕ってくるフランクと心を通いあわせるが、母親の恋人がひどい男でフランクやその母に暴力を振るうのを見兼ねて再び殺人を犯して病院に戻る。

 心の純粋さゆえに人を殺すクライマックスの緊張感、そして再び病院の単調で穏やかな日々。しかし窓の外を見つめる彼の心には、以前にはないあの親子の姿が刻まれている筈だ。

「ニル・バイ・マウス」(1998年2月21日(土))
 恵比寿ガーデンシネマで「ニル・バイ・マウス」(no.28)を観る。

 あの「レオン」「エアフォースワン」で強烈な悪役を演じたゲイリー・オールドマンが脚本・監督をした映画だ。

 ロンドンの下町で貧しい暮しをしている労働者階級の家族を描いている。夫は失業中でヤクと酒におぼれ、妊娠中の妻に乱暴して流産させてしまう。妻は家を飛び出すが、夫は妻を執拗に追い求める。

 ヘビーな内容だが後味は悪くない。レイ・ウインストン演じる夫はヤクこそやってはいるが、どん底の貧しい生活から抜け出す事が出来ず家族に温かい言葉もかけられない不器用な人間だと分かるからだ。自分の親父もパブに入り浸りで何一つ愛情を注いでくれなかった。そんな親父と同じ道をたどっている自分に嫌悪感を感じている。

 妻も元の鞘に戻る。これは愛情からなのか、行き場のないあきらめからなのか。

「エンド・オブ・バイオレンス」(1998年4月11日(土))
 恵比寿ガーデンシネマで「エンド・オブ・バイオレンス」(no.52)を観る。

 ヴィム・ヴェンダースの新作だ。

 1995年の「リスボン物語」でようやく初期の作品のような初々しさを取り戻したヴェンダースが今回選んだ舞台は大都市ロサンゼルス。人知れず忍び寄る都会の暴力がテーマだ。

 思えば「アメリカの友人」や「パリ・テキサス」など暴力の意味を問う作品をこれまでにも何本か撮っている。それも直接的な暴力シーンというより内面の恐怖、そしてそれが周囲の人々に与える影響を鋭くクールに描き出す。映画やTVが生み出す暴力シーンが人々の感覚を麻痺させている現状をシニカルに捉え、そこから人々の生き方を変えてしまうファクターをある意味では都会での必然とみている。都会人の愛と孤独こそが暴力を生み出す根源なのだ。

 俳優がどれもいい。「いい人」俳優ビル・プルマンと神経質そうなアンディ・マクダウェル、苦悩する孤独なガブリエル・バーン。極めつけはバーンの帰りを待ち続ける父親に、あの映画監督サミュエル・フラーだ。ラストにひたひたと暖かさが染みわたってくる映画だ。

「十二夜」(1998年5月24日(日))
 恵比寿ガーデンシネマで「十二夜」(no.73)を観る。

 シェークスピアの同名の喜劇の映画化。

 監督は数々のシェークスピア作品を手掛けてきた舞台演出家トレバー・ナンだ。

 双子の兄妹が海で遭難し離れ離れになる。妹ヴァイオラは兄の行方を求めて他国の公爵に仕えるため男装して小姓となる。男装ゆえ公爵からは愛されず、公爵が愛する令嬢(ヘレム・ボナム・カーター)からは愛を打ち明けられるという設定の可笑しさ。戯曲としての面白さを余さず映像化している。

 ヴァイオラを演じるのは「いつか晴れた日に」で主人公のカップルの恋路を阻むあざとい令嬢役に扮したイモジェン・スタッブス。今回は男装の女性をうまく演じていて似合っている。かえって女性に戻った時の印象の方が嫌味かもしれない。

カチンコ
 例のアカデミー賞受賞作「恋に落ちたシェークスピア」でグゥイネス・パウトロウが男装するアイディアは、本戯曲のヴァイオラのエピソードから取られている。あの作品は様々なシェークスピア作品からのアイディアの引用がある。そうだ。アッテンボローの「ガンジー」で主役を演じたベン・キングスレーが狂言回しの役を怪演している。ヘレム・ボナム・カーターのヴァイオラに女のサガをさらけ出して追い求める姿も喜劇らしくて楽しい。

1998年7月1日(水) 「ガタカ」
 創立記念日で半ドン。川崎から恵比寿に直行して昼食後、恵比寿ガーデンシネマで「ガタカ」(no.91)を観る。

 平日の昼間だが映画サービスデーと重なったので結構混んでいる。

 近未来では遺伝子操作が進み、優良な遺伝子から生み出された一部の人間のみがエリートとなり、その他の人間は不適格者として差別されている。心臓に欠陥を持つ不適格者ビンセントはエリートとして生き抜くため、企業や警察の眼を欺き続ける。適格者でありながら事故で半身不随になったユージーンは、自らの野心を満たすためにビンセントを自分の身代わりに仕立て上げようとする。

 「大いなる遺産」のイーサン・ホーク演じる強い意志とナイーブさが同居するビンセントと、「オスカー・ワイルド」のジュード・ロウ演じるコンプレックスと嫉妬に苛まれたユージーン。二人の奇妙な友情と嫉妬がぶつかり合う。

 身元を隠すために全身の皮膚を毎晩こすり落としたり、爪を削ったり、血液を指先に仕込んだりと、近未来の単調で無機質な世界に非常に肉体的なイメージを持ち込んでいて、人間とは何なのかの暗喩ともなっている。

 ただし近未来の描き方が多少紋切り型で面白みに欠ける。

「真夜中のサバナ」(1998年7月31日(金))
 昼食後、恵比寿に移動。恵比寿ガーデンシネマで「真夜中のサバナ」(no.113)を観る。

 アメリカでもっとも美しい町とうたわれたサバナで実際に起った殺人事件を描いている。サバナは観光名所となる古くて豪華な邸宅が立ち並び、そこに住む人々も奇妙で妖しげな魅力に満ちている。頭にアブを飼っている発明家、首輪だけの架空の犬を散歩させる男、若い男娼を邸宅に同居させている富豪の骨董商などなど。

 話は、富豪の愛人だった男娼が富豪宅で銃で撃たれて発見され、富豪が逮捕され裁判沙汰になるというもの。でも裁判物というより、サバナというまるで生き物のように妖しげに蠢く町を描き出した映画になっている。

 今回もクリント・イーストウッドはそつなく監督をこなしているが、どうもこれといって特徴のない映画になっている。本人が出ていないのも残念だ。

カチンコ
 いま思い出しても最後までピントが合わない映画だった。そもそも原作どおりを思わせるような現実感の乏しい特異な住人たち。「首輪だけの架空の犬」だとか「頭にアブを飼っている」だの、これが本当にサバナにいたのだと投げ掛けられても、ハイそうですかと納得しようもない。これが寓話の世界という描き方ならばおもしろがることもできたが実際にあった事件だという。つまり観光名所で有名でありながらどこか狂っている町サバナでの出来事というスタンスなのかもしれないが、そもそもサバナのイメージから乖離してしまっている日本の一観客には想像力の限界というものがあるのだ。

「地球は女で回ってる」(1998年12月12日(土))
 恵比寿ガーデンシネマで「地球は女で回ってる」(no.173)を観る。

 ウッディ・アレンの新作で原題が「Deconsturcting Harry」。「ハリーを脱構築(解体)する」という意味になるだろうか。

 パンフレットにいとうせいこうも書いているが、何故今頃になってポストモダンの現代思想のキーワードを使うのか不思議な感じだ。

 ウッディ・アレンはこれまでも私小説的な映画を撮ってきたが、この作品ではいっそう現実と虚構との距離が近づいている。私生活ではインテリだが女に弱く精神的に絶えずコンプレックスを抱えている事を売り物にして「マンハッタン」や「アニー・ホール」を送り出してきた。

 ダイアン・キートンやミア・ファローと次々に共演者をパートナーとしては別れ、その都度自らの私生活は作品へと昇華されていった。現在はミア・ファローとも別れて彼女の養女と再婚している。

 この作品でもそういった事情は妻の妹との不倫や、妻の患者との不倫、教え子との不倫などの本来あってはならない倫理的なタブーを侵すシーンに反映しているとも言える。しかしこの映画の最大の特徴は、言わば作家ウッディ・アレン自身を解体して、自らの作品を総ざらいしてしまうところにある。

 それは自らの作家生活を対象化して突き放す事でもあり、ある種の懺悔とも取れない事もない。と同時にこれまで積み上げてきたものに対する作家としての自負を示すかのように、書き上げた作品の中の登場人物が一同に会して作家を祝福するラストに、思わず「またもやウディ・アレンにしてやられた!」と観客はつぶやかざるを得ない。

 クリスマスのデコレーション満開で、サンタが愛想を振りまいているガーデンプレイスを後にして、新宿に移動して昼食。

「ロリータ」「セントラル・ステーション」(1999年5月3日(月))
 恵比寿ガーデンシネマで今日は一日過ごすつもり。中々来にくいところなので2本とも観てゆきたい。ガーデンプレイスのメイン広場では連休中の催しの大道芸で賑わっている。

 まずは始まったばかりの「ロリータ」(no.41)。

 ロリコンの語源となった小説の映画化。出版当時も今もスキャンダラスでありつづけるテーマを「ナインハーフ」「危険な情事」のエイドリアン・ラインが撮った。
 さぞかし刺激的な演出があるのかと思いきや、かなりオーソドックスな作風で、12歳のロリータに魅了され翻弄されて身を滅ぼしてゆく大学教授の顛末を描き出している。元々は教授の若き日に思い出として封じ込められた今は亡き少女の幻影をロリータに求めるところから悲劇は始まっていて、ジェレミー・アイアンズが恋に身を狂わす教授を見事に演じている。

 ロリータ演じるドミニク・スウェインは、歯に強制具をつけて微笑む演出が小悪魔的な子供らしさを感じさせるが、やはり原作より3歳年上の15歳とあって、二人の関係にあぶないものは感じられない。解説にもあったが原作どおりのイメージを映像化するのは今もって難しいテーマだと思う。

 恵比寿駅に戻って駅ビルで食事。連休中で食堂街も混みあっている。「動く歩道」も同様。なにしろ駅から遠い映画館だ。

 「セントラル・ステーション」(no.40)を観る。

 ブラジル映画。リオ・デ・ジャネイロの中央駅で、代筆業を営む女性ドーラ。彼女の元には様々な人々が思い思いの手紙を代筆してもらいにくる。しかし彼女はお金をもらって代わりに投函するといつわって持ち帰って送らずに棄てたりといいかげんな商売をしている。

 ある日来た母と少年は、出ていった父との復縁をせまる手紙を代筆するよう依頼したが、これもドーラは投函しない。やがて母は交通事故で死に駅には少年一人が取り残される。ドーラは罪の意識から少年の面倒を見て、やがて二人は別れた父を捜す旅に出る事になる。

 辛辣で情け容赦なかったドーラは、旅を続けるうちに少年と心を通わせ、どんどんどんどん少年がかけがえのない存在になってしまうところがせつない。

 少年が父と出会えば終わる旅なのに…。

「スモーク・シグナルズ」(1999年7月1日(木))
 創立記念日。去年と同じように12:00になるとすぐに退社し恵比寿に向かう。駅ビルの天麩羅屋で食事をとるのまで昨年と変わりない。

 恵比寿ガーデンシネマで「スモーク・シグナルズ」(no.65)を観る。

 ネイティブ・アメリカンの話で、予告を何度か観て期待していた作品だ。幼い頃に家族を捨てて出て行った父を許せないビクターは、遠い地で父が死んだことを知らされても会いに行こうとしない。

 幼馴染みのトーマスは幼い頃の火事で命を助けてくれた恩人であるためビクターの父を慕っている。しかもその火事で両親を失っているせいで父を憎んでいるビクターをうらやましくさえ思っている。トーマスの勧めでビクターはいやいやながらも二人で父の遺骸を引取りに旅立つ。それは二人にとって初めての居留地を出る旅でもある。

 もはやネイティブとしての尊厳を守ることが危うくなりつつある現代のインディアンの生活を背景にしながら、父親を尊敬できずに成長した主人公が、父の生き方を知り、自らの誇りを取り戻していく映画だ。思ってたより感動的ではなかったが、それでも味わいのある映画だった。子役の二人と青年の二人がよく似ているのがおかしい。

「クンドゥン」(1999年8月9日(月))
 恵比寿ガーデンシネマで「クンドゥン」(no.88)を観る。

 クンドゥンとは法王猊下の事。あのマーティン・スコセッシ監督が現ダライ・ラマを描いた映画だ。冒頭、チベットからはるばる遠い地方の一家を旅の僧数名が訪れる。亡くなったダライ・ラマ13世の生まれ変わりの子供を探しているのだ。

 この不思議なエピソードはベルトリッチの「リトル・ブッダ」ですでに馴染みのものだが、子供を前に法王が使っていためがねや杖といった日常品を二種類ずつ用意して、次々に子供が言い当ててゆき、最後に僧たちが笑顔で確信して頭を下げる。「クンドゥン!」と。
 感動的な冒頭から僕らは、チベットをやむなく去らざるをえなくなるまでのダライ・ラマの波乱な半生を追っていく事になる。

 スコセッシ監督は三人の幼年から青年までの俳優を使って、まるで「ラスト・エンペラー」のように緻密にダライ・ラマとその時代・環境を描き出している。

「I loveペッカー」「セレブリティ」(1999年11月3日(水))
 恵比寿ガーデンシネマに初回から出かけていったが、何故か混んでいる。祝日にしては混みすぎだなと思ったら、なんと今日は映画サービスデーでもあった。1000円で観られるので観客が多い。安いのはうれしいが予想外の混雑に戸惑う。

 まず「I loveペッカー」(no.112)(ジョン・ウォーターズ監督)を観る。

 かつてはインディペンデントの中でもかなりアングラな映画作りをして「ピンク・フラミンゴ」などカルト映画監督としてもてはやされた頃を思えば、ずいぶんと商業映画寄りの作品をつくるようになったものだと驚いた。

 もちろんインディペンデントのテイストは健在で、自分の生まれ故郷ボルチモアを舞台に奇妙で個性的で愛すべき登場人物を、コミカルでシニカルに描き出していく。エドワード・ファーロング扮する青年ペッカーが街なかをとり続けたスナップフォトがニューヨークで評価されて一躍有名人となるが、被写体にされた人々から総スカンを喰うはめになり大騒動になっていく。
非常に軽快なカメラワークとちょっと癖のあるストーリー運びで、ウォーターズ独特の楽しい映画となった。

 昼食はカフェ・コナファームでクラブハウスサンドイッチとアイスティーを取る。

 引き続いて「セレブリティ」(no.111)(ウッディ・アレン監督)を観る。

 セレブリティとは有名人の意味。主人公のケネス・ブラナー扮する売れない芸能記者は何をやってもうまくいかず、小説家をめざすといいながら書き上げてもいない。セレブリティになることだけを夢見て、芸能人を取材しながら自分を売り込もうとしている。ここらへんのドタバタを実際の有名人をいろいろと配置させて描いていく。

 ディカプリオ演じる乱交好きの若手スターというのも自身を演じているようでおかしいし、売れっ子の女優、モデルが多数でてくるだけでも楽しい。ただ知らない人も結構いるので本国人ほどは楽しめないだろう。心からげらげら笑えるというストーリーでもないのもやや不満だが、別れた妻のジュディ・デイヴィスが、主人公とは対照的に次第に売れっ子のレポーターになっていくのは面白い。

カチンコ
公開当時はまだ「セレブリティ」は耳慣れない言葉だった。当然ながらセレブという言葉は存在していない。
posted by アスラン at 19:48| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 記憶の映画を探して | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月30日

無名の名優がまた一人逝く(山田辰夫さん死去)

 「俳優の山田辰夫さん死去」という見出しをウェブの記事で見つけて、山田辰夫って誰だっけ?知ってる役者さんかなぁととぼけた反応を見せてしまった。写真を見て「あぁ、死んじゃったんだ」とビックリした。まだまだ若いはずだ。53歳で亡くなられたのか。

 僕は確かにこの俳優を知っている。「狂い咲きサンダーロード」で狂気にも似た雄叫びをあげてスクリーンの中を暴れ続けた主役の若者が彼だった。もう彼が「狂い咲きサンダーロード」の記憶そのものであって、それ以外のものではなくなってしまうくらい、強烈な印象を与えてくれた。それなのに、僕は当時も今もあの若者の名前を知らなかった。今や年輪を重ねて熱い狂気は押し隠してしまったが、相変わらず存在自体に「狂い咲きサンダーロード」の陰影を焼き付けた名脇役として、いつでも彼はスクリーンやテレビ画面に登場した。おじさんと呼ばれる年齢になっても、彼はやはり永遠の「怒れる青年」だった。そして、僕はこの名優の名前を知る事はなかった。

 亡くなった今となって、初めて僕は彼の名前を知った。俳優・山田辰夫。もう忘れる事はないだろう。石井聰亙という希有の監督を世に送り出したのは、監督自身の狂気だっただろうし、それに応えた若き無名の役者・山田辰夫の狂気だったはずだ。

理由(2004)
クロエ Chloe(2001)
BeRLiN(1995)
「さよなら」の女たち(1987)
沙耶のいる透視図(1986)
狂い咲きサンダーロード(1980)


ざっとみて、これらの映画で山田さんの演技を見かけているはずだ。近くて大林宣彦監督の「理由」では確かに記憶がある。それ以外は脇役の運命だろうか、どの役だったかを思い出せない。残念だ。おくやみの記事にあるように「狂い咲きサンダーロード」は山田さんの出世作であり、おそらく唯一と言っていい主演作であった。この夏に追悼作品としてどこかで放映してくれないだろうか。

ご冥福をお祈りします。
posted by アスラン at 19:38| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 記憶の映画を探して | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月10日

地球攻撃命令 ゴジラ対ガイガン(1972年)

 昭和42年(1967年)にテレビで「ウルトラマン」が放送開始した。当時5歳だった僕はたちまち夢中になった。だから僕はウルトラマン一期生だ。その年の家族旅行で連れていかれた箱根で絵付け体験をし、僕が残した皿にはウルトラマンの絵が描かれていた。前後するが、近所の友達と一緒に、友達の母親に連れていってもらって初めて観た怪獣映画は「ガメラ対バルゴン」と「大魔神」だった。ではゴジラはどこで出会ったのだろう。

 僕が初めてゴジラと出会ったのは、もちろん映画館ではなくてテレビだった。あの名作「ゴジラ」を最初に観たとは思えない。きっと子供(というより幼児)には怖すぎるから。それよりなにより、人間の味方であるゴジラという印象を早々と持っていたから、きっとゴジラ、ラドン、モスラが宇宙怪獣キングギドラと対決する「三大怪獣 地球最大の決戦(1964年)」や「怪獣大戦争(1965年)」あたりが最初ではなかっただろうか。

 ウルトラマンの放映が始まった1967年までにすでにゴジラがでる作品だけで5本もあった。それに「ラドン」や「モスラ」を加えれば、当時の幼児が観るべき怪獣映画はたくさんあった。日曜の昼下がりに繰り返し放映された初期のゴジラシリーズを繰り返し見ていた。それでもゴジラシリーズは毎年のように新作が作られて、次第に自分の欲望に自覚的になっていく少年にとっては、新作の宣伝ポスターが銭湯の中庭の塀に飾られるたびにジリジリとしたいらだちを覚えた。まだまだ当時の小学生には、映画館は高いハードルだったからだ。
ゴジラ(1954年)
ゴジラの逆襲(1955年)
キングコング対ゴジラ(1962年)
モスラ対ゴジラ(1964年)
三大怪獣 地球最大の決戦(1964年)
怪獣大戦争(1965年)
ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘(1966年)
怪獣島の決戦 ゴジラの息子(1967年)
怪獣総進撃(1968年)
ゴジラ・ミニラ・ガバラ オール怪獣大進撃(1969年)
ゴジラ対ヘドラ(1971年)
地球攻撃命令 ゴジラ対ガイガン(1972年)

 当時の板橋には、東武東上線大山駅のすぐわきに「大山文化」という東宝系の映画館があり、ゴジラ映画はすべてそこで観られた。もちろん家から歩いて行けるが、小学一年生になった1968年にはまだまだ一人で行けるところではなく、行くことも許されなかった。お金だって今の子供のように潤沢なお小遣いももたないから、行くとなると親にせびるか前もって貯めなければならない。

 そうこうして銭湯のポスターを指をくわえて眺め、「ゴジラの息子」のミニラの出現に、ゴジラがオスではなくてお母さんだったことに真剣に悩んだりしていた。「ゴジラ対ヘドラ」の時はかなり真剣に観られる可能性について思い悩んだ。なにしろゴジラは、得意の放射能を口から思いっきり吐き出しながらしっぽを体の前に丸めて、空を滑空するのだ。当時流行語にもなった「公害」の化身であるヘドラとの空のチェイスシーンをぜひとも瞼に焼き付けたいと思ったが、このときもおそらく許可がでなかったのだろう。悔し涙を飲んだはずだ。

 そしてついに映画館でのゴジラデビューとなった映画こそが「ゴジラ対ガイガン」だった。すでに小学4年生になっていた僕は、事前に子供向けの特撮ものを特集した雑誌を毎月買っていて、その中でも特集されていた「ガイガン」の斬新な姿に魅せられていた。宇宙怪獣らしく、目がゴーグルのように横に鋭くのびていて、頭に角があり、手は鎌型のブレイドがついている。しかも胸に回転ノコギリが装備されていて近づくものを片っ端から切断してしまう。当時一番のお気に入りだったキングギドラとはひと味違った凶暴さを体現した新怪獣の誕生だった。

 ガイガンを是非とも観たい。もう、これを逃すことはできなかった。おそらくお小遣いも事前に貯めておき、映画館に行くのも怪獣映画好きの友達(好きでない男の子なんてありえないが)数人と行くことで「誰々くんだって行くんだよ」という殺し文句で母親の厳しい審査をパスしたのだった。

 友達と初回から入場して観た「ガイガン」は、当時「東宝チャンピオン祭り」と呼称していたイベントの中の一本で、そのほかにも「帰ってきたウルトラマン」や「ミラーマン」それに「天才バカボン」などのアニメまで一緒に観たはずなのだけど、併映作品についてはまったく覚えていなかった。メインはやっぱりガイガンとゴジラだった。

 最強だと思っていたキングギドラがガイガンの前座のような地位に格下げされた事に軽いショックを覚えながら、ガイガンの回転ノコギリに傷つけられて怯むゴジラの姿に手に汗握り、最後には勝利をおさめるゴジラとアンギラスのなかなかマニアックなタッグに大満足したのだ。ガイガンは倒されたのではなく、ゴジラに叩きのめされてキングギドラとともに宇宙に逃げ帰ったのではなかったか。当時のお約束だったが、キングギドラは毎回逃げ帰った。次の出演が約束された人気スターだったからだろう。果たしてガイガンはどうだったか。記憶は定かでない。

 金星人ならぬX星人の正体がゴキブリだったというオチは、当時の僕にとっては、かなりスパイスが効いた衝撃的結末だった。あとにも先にも子供のときに映画館で観たゴジラは、この作品だけとなった。次に出会うのは大学生になって映画フリークとなってから、円谷英二の手がけた特撮映画全作品を特集してくれた、今は無き大井町武蔵野館での事になる。

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2009年06月03日

天国から来たチャンピオン(1978年)

 多感な高校生の頃に見た映画が自分のその後の好みを決定づけてしまう。そういうことは言えるのではないだろうか。「フォローミー」や「グッバイガール」に決定的な感銘を受けてしまい、よくはわからないが、人生には耐えがたい哀しみと、それに見合うぐらいの幸せが訪れるのだと思いこんでいた。いや、思いこもうとしていたと言っていい。それにしても、死を迎えることよりも悲しいことが世の中にあるだろうか。そんなものがあるのだと知ったのが、この映画だった。

 ウォーレン・ビーティ扮するジョーは、プロ・アメリカンフットボールのクォーターバッグだ。彼はロードトレーニング中にトンネルで事故に遭遇し、天国の待合所に連れて来られる。でもどうしても自分の死に納得がいかず、担当者に喰ってかかる。責任者(ということは天使か?)が出てきて帳簿を確認すると、あと50年は寿命があることが判明する。担当者が状況から早とちりしてしまったのだ。あわてて体にもどそうとするも、すでに火葬にふされて手遅れだと知る。よくよく考えたら、米国で火葬というのは珍しいんじゃないかな。今となって気づいたが、そんなことより大事なのは、このくすくす笑いを誘う導入部だ。幸せな気分にひたれそうな上質のハートウォーミングコメディの予感がするではないか。

 この状況を打開するには、ジョーに代わりの肉体を提供するしかない。それから、担当者とジョーとで代わりの肉体を探しに世界中を飛び回る。ジョーが欲しいのはクォータバックをこなせる強靱な肉体だ。いろんなスポーツ選手、あるいはサーカスの綱渡りなどを見てまわり、気にくわなければ次の候補へと瞬間移動する。可笑しいのは、二人が姿を消したとたんに、綱渡りの芸人は落下するし他の候補もなにかしら事故に遭う。そう、ジョーの代わりの肉体は、今まさに寿命がつきようとする人間から選ぶのが決まりなのだ。その不条理さがなんとも言えず笑える。

 ジョーはある富豪のもとに案内される。彼の妻は遺産を狙って夫を殺そうとしている。ジョーは富豪の肉体にも満足せず離れようとした矢先に、富豪のもとに陳情にきたひとりの女性ベティに惹かれる。そして彼女の願いを叶えるために一時的に富豪の体を借りる事を決意する。

 庭の外れにある井戸に落として殺したはずなのに元気に姿を現す富豪に、妻は驚きおののく。しかし、なにより可笑しいのは、富豪に乗り移ったジョーには、自分の姿が変わらずに見える点だ。担当者の話では他の人には確かに富豪当人としか映らない。もちろん僕ら観客もジョーの目線を共有している。今ならばSFXを駆使して、外見と中身が二重化していることをいくらでもリアルに表現できるだろうが、この映画では「ええい、面倒だ〜」とばかりに、お手軽なやり方を選択した。だが、お手軽な選択はベストな選択でもあった。口八丁手八丁のビーティがそのまま中身も外見も変わらずに富豪を演じる事で、富豪とベティとの恋愛にもアメフトへの情熱にも、僕らはすんなりと感情移入できるからだ。

 ジョーとベティは互いに惹かれていくが、妻のいる富豪に間借りする限りは結ばれる事はない。かと言って肉体のないジョーには他に選択肢がない。二人の距離感がもどかしい。暗い場所で不安げなベティの手を取って「心配ないよ」と優しい声を掛けるジョー。そのときに二人の間に確かな結びつきができる。それがエンディングへの伏線でもある。

 自分が活躍したアメフトチームを丸ごと買い取ってオーナーとなったジョーは、自らも選手として参加するが、当然のごとくチームメイトからは総スカンを食う。しかし、恋もアメフトもあきらめないジョーは自らの力でチームの信頼を勝ち取り、チームは優勝へと快進撃を始める。

 そしてついに優勝決定戦の日。ジョーはスタジアムに姿を現さない。間借りの期限が切れてしまったからだ。ところがチームのクォーターバックが試合中のアクシデントで意識を失ってしまう。ジョーの元を訪れる天使の責任者が目配せする。クォーターバックも死すべき定めだったのだ。すかさず立ち上がるのは、もちろんジョーだ。彼は見事にチームを引っ張って、逆転優勝を飾る。なるほど、この体に収まって、ジョーがあらためてベティと恋に落ちればめでたしめでたしだなぁと、すでに思いっきり笑わせてもらい、楽しませてもらった僕ら観客は、そんなハッピーエンディングを思い描いている。

 ところが、試合後のロッカールームでけだるい充実感にひたるジョーの元にやってきた天使の責任者は驚くべき言葉をかける。

「この選手の肉体を選んだのなら、これから君はこの選手として残りの人生を生きる事になる。ただし、君のこれまでの記憶はすべて失われるから、そのつもりで…」

 主人公の戸惑い同様、僕らもいっきに冷水をかけられたような気分に沈んでしまう。記憶を失う事。それは「死」と同義ではないか。それまでいとしいと思ったもののすべてを失ってしまう。本当にそれで「人生を取り戻した」と言えるのだろうか。思わず悲しくなってしまったが、あまりのショックで泣けない。呆然自失とはまさにこのことだろう。

 入れ替わりをただ一人知っている昔からのコーチが声をかけても、もうジョーはジョーではないのだ。とまどうコーチの落胆は僕らの落胆だ。ロッカールームを出ていくジョーと、富豪との思い出をたどりに来たベティとが通路ですれ違う。互いの目の中に何かを感じるが、それがなんなのか分からない。次の瞬間、通路の電灯が落ちてしまう。停電だ。暗闇の中で「心配しないでいいよ」と声をかけるジョー。明かりがつくと、聞き覚えのある一言に我を失ってジョーを見つめるベティがいた。記憶の底から何かがわきあがってるのを二人が感じあう一瞬だ。

 なんとももの悲しい。たとえようもなく切ないエンディングだ。そしてまた、例えようもなく心があたたかくなる映画だった。あれほど笑ったのに、最後のエンドロールは涙でにじんでいた。

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2009年05月28日

記憶の映画(タイトル順)

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−イ−

−ウ−
ウェストワールド

−エ−
エクソシスト

−オ−

−カ−

−キ−
吸血の群れ

−ク−
空気のなくなる日
グッバイガール

−ケ−

−コ−
ゴジラ対ガイガン-->地球攻撃命令 ゴジラ対ガイガン(1972年)

−サ−
サスペリア

−シ−
女王陛下の007
ジョーズ
七人の侍

−ス−

−セ−

−ソ−

−タ−
大怪獣決闘 ガメラ対バルゴン
大魔神
大脱走

−チ−
小さな恋のメロディ
チキ・チキ・バン・バン
地球攻撃命令 ゴジラ対ガイガン(1972年)

−ツ−

−テ−
天国から来たチャンピオン(1978年)

−ト−

−ナ−
長靴をはいた猫

−ニ−

−ヌ−

−ネ−

−ノ−

−ハ−
八甲田山

−ヒ−

−フ−
プライベート・ベンジャミン
フラッシュ・ゴードン
フォロー・ミー

−ヘ−

−ホ−
ホワイト・クリスマス
暴力脱獄

−マ−

−ミ−

−ム−

−メ−
めぐり逢い

−モ−

−ヤ−

−ユ−

−ヨ−

−ラ−

−リ−

−ル−

−レ−

−ロ−

−ワ−
ワン・オン・ワン
若大将シリーズ(1961〜1971年)

−ン−

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2009年05月22日

チキ・チキ・バン・バン(1968年)

 今や映画の情報は、毎日のようにどこからでも手に入る。朝のニュース番組でも新作映画の紹介から先週末のランキングまで、事細かに教えてくれる。ハリウッドスターの来日風景も見せてくれる。雑誌では、特に「ぴあ」や「東京ウォーカー」のような専門誌に頼らなくても、様々な雑誌の誌面で映画情報が入手できる。そして、極めつけはPCや携帯からネットで検索すれば、予告編の動画まで見られる。

 ましてや、昔と違って「特別な娯楽」とも言えなくなった映画を観るために、わざわざ事前に下調べするまでもない。最寄りのシネコンに出向けば、何かしら好みにあった映画が見つかる。もっと付け加えると、半年も経てばレンタルできるようになるのだから、「ぜひ今観ておこう」などと今の人たちは考えない。ビデオやDVDの無かった60〜70年代当時の僕らの「ぜひ観たい!」という切実感を想像してもらうのは、難しいかもしれない。

 最近、新聞を取り出して家で読むようになって、ああそうだったなぁと思い出した事がある。昔は、新聞の紙面で映画館の上映スケジュールを確かめた。BSもなく地上波だけのテレビ版の下のスペースが定位置だった。まだ「ぴあ」などの雑誌が一般には普及していなかったから、僕らは新聞で上映時間を確認して出かけていった。テレビでも今のような情報番組はほとんどなかった(ように思う)から、新聞に大きく載った映画広告も貴重な情報源だった。

 もうひとつ情報源があった。銭湯だ。脱衣場の壁の上の方か、もしくはミニ日本庭園を気取った中庭の塀のわきに、近所の映画館のポスターが貼ってあった。風呂からあがってかなりのぼせきった体の火照りをさますために、裸のままじっと観に行けもしない映画のタイトルを眺めていた。

 「チキ・チキ・バン・バン」はおそらく新聞に大きく載った広告を見いだして、当時小学生になりたてだった自分が行きたがったのか、それとももうちょっと大きくなってからリバイバル上映に反応したのか。とにかく行きたいと言ってはみたものの、いつものように母からは「いいよ」という声は聞かれず、地団太を踏んだかどうかは記憶がない。踏む事も当時のお約束だったから、たぶん踏んだのだろう。でも結局忙しいの一言で片づけられた(はずだ)。それくらい、映画を見に行くということは覚悟を強いられるものだった。

 この映画の何に引きつけられたかと言えば、やはり子供向けの空想に満ちた展開だった。まだロボットアニメは誕生していなかったから、魔法のように海の上を渡り、空まで飛んでしまう設定の車「チキチキバンバン」は、僕の空想をえらくかき立てた。

 いまでこそ、子供だましの映像にしか見えない特殊撮影だったが、ふだん何気なく乗っている自動車が次々と変型するという発想がおもしろかった。それも、主人公の発明家に改造した自覚があるならともかく、困ったときに突如自らの形を変えて、主人公たちを助けてくれる。いわば知能をもったお供でもあるところが、今から考えるとなかなか可能性を秘めた物語だった。原作はなんとあの「007」を生み出したイアン・フレミングだ。こんな余技もできたのか。

 結局、映画館では観ることはかなわなかった。そのかわり、当時流行った主題歌をさかんに口ずさんだ。

「バンバン、チキチキバンバン、チキチキバンバン大好き〜」

というテンポのよい歌だ。オリジナルの歌に日本語訳をあてて吹き替えていた。

 後年、テレビでの放映を観たとき、チキチキバンバン号という名前が、エンジンの奏でるノイズから命名されているのを知った。でも、どうしても「チキチキ」には聞こえない。「ティキティキ」でもない。強いて言えば「シキシキ、シキシキ」とシリンダーが回転しながらこすれるような音が聞こえて、そのあとにエンジンの破裂音が「バン!バン!」と合いの手のように入る。ひどいポンコツ車だ。

 そのポンコツ車が夢のような車に変身するギャップが見どころなのは言うまでもない。が、あえて言っておくと、当時の映画やテレビドラマでは、至るところで車がエンストを起こしていた。それが次なる物語を生む小道具として使われていた。それくらい車は故障するものだった(ようだ)。「チキチキ」も「バンバン」も、エンジンの性能向上とともに死語となった。

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2009年05月08日

ジョーズ(1975年)

 「ジョーズ」は言わずとしれたスピルバーグの代表作だが、この作品でブレイクしたと言っていい。映画館で公開された初作品だったろうか。すでにテレビドラマのディレクターとしては知る人ぞ知る天才を若くして発揮していた。あの「激突!(1972年)」がそうだし、〈刑事コロンボ・シリーズ〉の「構想の死角(1971年)」も彼の数ある傑作の一つだ。しかし「ジョーズ」公開当時は日本ではまったくの無名の監督だった。

 動物や昆虫が人を襲う映画は、当時でも目新しくはなかったが、何しろ肝心のサメがなかなか姿を見せないところに、僕らの興味は俄然集中した。スピルバーグの後日談によると、もっと早い段階で巨大なサメが暴れ回る予定だったが、使用するサメのロボットがうまく動かなかったために、やむなく姿無きサメの恐怖をあおる演出に切り替えたところ、逆にそれが大受けしたと言う。今となると、若きスピルバーグの自らの才能に対する謙遜が言わせた嘘のような気もする。それくらいスピルバーグの演出は冴えわたっている。

 若い女性が夜の海に入って立ち泳ぎしていると、突然真下に引き込まれる。この有名な冒頭のシーン、それにかぶさるように、せまりくる危機を煽るジョン・ウィリアムスの音楽。「ド・ド・ド・ド」というショッキングな効果音に続いて、ホルンの低音が海中を雄大に泳ぐサメの巨体をイメージさせる。思えばスピルバーグとウィリアムスの映像と音楽のコラボレーションは、このときから既に始まっていた。

 顎を意味する「ジョーズ」という言葉で巨大なサメを表現した原題をそのまま採用し、たとえば「巨大サメの恐怖」のような扇情的な邦題にしなかったのは配給会社の見識だろう。一方で、一つ間違えば原題そのままの意味不明なタイトルは格好の批判の対象になったはずだが、結果的には得体の知れない恐怖をうまく言い当てることとなった。

 日中の海岸の浅瀬に姿を現した背びれに驚き、パニックになる海水浴客。背びれを追い詰めると少年二人のイタズラだと分かる。煽っては肩すかしを食わせる演出は、その後のホラー映画の常套手段となった。そして危険はひたひたと確実に近づいてくる。

 アミティ市の警察署長(ロイ・シャイダー)は海岸の遊泳禁止を進言するも市長に拒否され、仕方なく厳重な警戒態勢で海岸を監視する。ただし、息子たちには中州で遊ぶように言い聞かせる。少年のイタズラの直後に中州に異変がおこるが、イタズラにうんざりした署長の動きは鈍い。半信半疑で中州へ歩く署長が、やがて気も狂わんばかりに子供の元に駆けつける。今度はまぎれもなくつがいのサメだった。

 中型のサメを退治して安堵する署長たちだったが、再び被害者が出てようやくサメ退治の専門家を雇う事になる。名うての賞金稼ぎを演じるのは名優ロバート・ショーだ。あの「スティング」では、ポール・ニューマンたちにしてやられるギャングのボス役だった。彼の小型船に海洋学者のリチャード・ドレイファスと警察署長が乗船する。後半は、男たちの三者三様の掛け合いが見ごたえある。ジョージ・ルーカスの出世作「アメリカン・グラフィティ」で田舎町の秀才役で出演したドレイファスは、本作の2年後に公開された「グッバイガール」の主役に抜擢されて、その年のアカデミー賞主演男優賞を受賞している。一番油がのっていた時期だろう。

 確執を乗り越えて連帯していく海の男たちの姿は、最近読んだヘミングウェイの「老人と海」のモチーフと何かしらつながるような気がした。サメ退治の賞金稼ぎが、実は先の大戦で海に投げ出されて、次々とサメに仲間を奪われてた生き残りだと知って、ドレイファスもシャイダーも、胡散臭いだけと思っていたロバート・ショーを見直す。この場面では、人生の黄昏を迎えようとする頑なな人間にあたたかな眼差しを向ける、若き日のスピルバーグの純粋さが感じられる。

 終盤のサメとの格闘は、あたかも西部劇のクライマックスのようだ。そもそも3人が同乗する小型船は、ジョン・フォードの「駅馬車」でインディアンに襲撃された駅馬車を思わせる。生き残りをかけた人とサメのギリギリの闘いも、最後の最後までスクリーンから目が離せない。未だにスピルバーグの最高傑作だと僕は言いたい。

 ちなみに当時中学2年生の僕は、池袋の「日勝地下」でこの映画を観た。西口を出てパルコを通り過ぎてビックカメラの位置にかつてあった映画館だ。名前の通り地下にあった。小振りのスクリーンでは、常日頃はにっかつロマンポルノが上映されていたが、時折ロードショー落ちした話題作を安く上映してくれた。1本300円程度だった記憶がある。

 席数は100なかった。立ち見客があふれていたので、僕も立ったまま最後尾の手すりにつかまってスクリーンの映像に食い入った。確かに立ち見するぐらい混雑していたが、後ろから体を押しつけられるくらい混んでいたわけではない。そのとき、僕の人生で最初で最後であろう痴漢にあった。まだ初(うぶ)だった僕は、映画の海水浴客のようにあわてて通路を前に進んで、何故か満席のなかを一つだけ空いているように見えた席に腰掛けたら尻餅をついた。座席が壊れていたのだが、痴漢を恐れて構わずそのまま映画を観つづけた。

 今となって、忘れ得ぬ貴重な映画体験だ。

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2009年04月16日

サスペリア(1976年)

 先日、読売新聞の日曜版に「サスペリア」の舞台になった有名な広場の様子が描かれていた。確か、どこかの地方都市から都会にやってきたヒロインが、到着した日の夜だったろうか、人気のない裏淋しい広場に迷い込む。しかも、後ろから怪しげな気配がひたひたと付け回してくる。広場におかれた無人のテーブルやイスが寂しさを一段と演出する。よく覚えているところをみると、冒頭の一シーンだっただろうか。


 ここは昼間は観光地としてにぎわう有名な広場らしいが、日も落ちきった頃には今でも、この映画のシーンのように淋しい場所らしい。監督は、後に「ゾンビ」シリーズで名を馳せるダリオ・アルジェント。この作品が彼の出世作と言っていいだろう。この作品には続編の「サスペリア2」もある。

 と思ったら、新聞記事は意外な事実を教えてくれた。実は「サスペリア2」の方が先に作られたのだそうだ。そして、こちらがイタリアで大当たりして、その後に「サスペリア」が続いて作られたわけだ。だから、邦題はご都合主義で付けられている。

 さきほどから続編と書いてはいるが、作品の内容に関連はない。またジャンルも違っている。「サスペリア2」はサイコによる猟奇殺人を描いたミステリーだ。もちろんミステリーというには、あまりにジャンルを逸脱している。やはり「サスペリア」同様に怖い。そこらへんの目新しさ、どぎつさが本国で受けたのだろう。本作で自信を持ったアルジェントが元々やりたかったジャンルを思う存分描いたのが、この「サスペリア」だったという事情かもしれない。

 うろ覚えの記憶を補おうとあらすじを調べたら、舞台はドイツのバレエ学校になっていた。ならば、あの広場のロケ地もドイツだったか。確かめようと自宅の新聞を探したが見つからない。記事をとっておけばよかった。ヒロインはニューヨークからバレエを学びにやってくる。地方都市ではなかった。なんとなく田舎娘が集まってくるイメージがあったのだ。こう考えると、イタリア映画なのに舞台もヒロインの故郷も別の国という設定はちょっと不思議だ。

 伝統あるバレエ学校にあちこちから生徒が集まってくる。すべて年頃の女性ばかりで、ヒロインもその一人だ。バレエを志すだけあって非常に細身で、目ばかりがクリクリっと大きくて目立つ。決して美人というわけではない。過剰に神経質な雰囲気を漂わせている。まさに「ホラー」という、古くて新しいジャンルのヒロインにふさわしい。

 このバレエ学校が実は悪魔の巣窟で、経営者は悪魔に生け贄を捧げるために全国から美しい女性(処女?)を集めている魔女だった。入学してからもヒロインたち生徒には数々の奇妙で恐ろしい出来事が降りかかる。生徒が失踪したり、寝ているベッドの上に天井からウジ虫が降ってきたりする。ヒロインは何故か最後まで殺されず(というか、それがお約束なんだけれど)、悪夢にうなされながらついには校長をはじめとする学校関係者が、秘密の隠し部屋で女生徒を生け贄のために殺す場面を目撃してしまう。

 1970年代にはオカルト映画というジャンルがあって、悪魔や魔女などを信じる狂信的な人間たちに振り回される映画や、悪魔・魔女そのものを描いた映画がいろいろとあった。その中でも「サスペリア」は「エクソシスト」などのモダンな感覚とは違って、ヨーロッパの古い伝統や信仰を背景としたおどろおどろしさに満ちていた。しかも時代はヒッピーのムーブメントに洗礼を受けたサイケが流行の最先端であったこともあり、赤や青といった原色を悪魔たちの心象風景であるかのように、これでもかと画面に配置することで、非常に印象深い映像を作り上げていた。

 それと効果音。今では一部のゲームなどで当たり前のように用いられるショッキングな叫びや重低音の不協和音をホラー映画のBGMに用いたのは、この映画が最初だったようだ。特に最初に触れた夜の広場のシーンでも、ヒロインの心理的な恐怖は、顔つきやそぶりだけでなく、見ている者の心を不安にさせるコンテンポラリーな前衛音楽、それにささやきとも叫びともとれる悪魔の声だ。

 臆病なくせに「怖いもの見たさ」のミーハー根性が抜けないのだろうか。「エクソシスト」や「吸血の群れ」に引き続き、早くもホラー映画を3本も紹介してしまった。決して恐怖映画が好きなわけではない。

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2009年04月02日

長靴をはいた猫(1969年)

 東映が「東映まんがまつり」という名称で子供向け・親子向けの企画を始めた最初の長編アニメーションだ。特に東映のオリジナル作品だけあって、当時の最高のスタッフが結集している。脚本には作家・井上ひさしが名を連ね、作画に「ルパン三世」ファーストで、その才能をいかんなく発揮した日本アニメ界のパイオニア大塚康生や、あの宮崎駿まで参加している。

 たとえば映画の後半で魔王ルシファの城の塔をのぼりつめるペロたちのアクションに次ぐアクションの連続は、宮崎駿のものというよりは、止め絵(紙芝居のように絵が静止しているシークエンス)を嫌って絶えず絵を動かし続けた大塚さんならではの作画だ。一方でローザ姫の清楚で端正ないでたち(声は「気になる嫁さん」の榊原ルミ)は、明らかに宮崎の「カリオストロの城」のクラリスの原点とも言うべきイメージを湛えている。

 という箔づけはもういいだろう。そんなエラそうな話はすべて後日知ったことだ。公開当時はまだ小学校低学年だった僕は、まだアニメという言葉が世の中に定着していない時代だったからこそ、子供向けの娯楽「まんが」に飢えていた。どん欲だった。

 アニメーションという言葉はあったが、テレビや映画館でやるアニメは紙媒体同様に「まんが」と呼んでいた。そのあたりの事情を名称に如実に反映した「まんがまつり」が、なんと今にいたるまで続いている事には感慨深いものがある。しかも、このイベントの顔にあたるロゴには「長靴をはいた猫」の主人公ペロの顔がイラストされているのだ。

 ストーリーそのものは民話からとられているだけあって、シンプルな出世譚であるが、それをドラマチックに肉づけした脚本がとてもよくできている。親の遺産から閉め出された3人兄弟の末弟ピエールは、偶然出会った猫のペロに助けられて、一目惚れしたローザ姫と結婚するために自らをカラバ侯爵と偽る。しかし、魔王ルシファが横恋慕してローザ姫を城へ連れ去ってしまう。そこからの展開がドキドキハラハラのサスペンスに満ちている。

 魔王ルシファは、あの「刑事コロンボ」の声でおなじみの名優・小池朝雄。尊大で残酷で、しかしどこか間が抜けているキャラクターを魅力的な声で演じてくれた。対するペロの声は石川進。この多才な人物は歌手でもあり声優でもあり、司会もこなせたマルチタレントだった。当時の朝に放映された「おはようこどもショー」は、子供にとって今のポンキッキーズとテレビ東京の朝の子供向けバラエティを足したような存在だった。その司会を努めていた彼の声は、親しみやすく非常にテンポがよかった。口八丁のペロには最適だ。ちなみに石川進は「ど根性ガエル」や「オバケのQ太郎」の主題歌を歌ったので、どんな声だったか思い出す人も多いだろう。

 ルシファに謁見したペロは、何にでも姿を変える事ができると豪語するルシファの言葉を逆手にとって、小さなネズミに化けた一瞬をとらえて魔王の力の根源であるドクロのネックレスを奪い、ルシファを慌てさせる。ここのやりとりはキャラクターのぶつかり合いと同時に声優の力量のぶつかり合いでもあり、見応えがある。中盤の名場面だ。

 その後、元の姿に戻ったルシファによってペロやピエールたちは城の外に追い落とされる。いったんは挫けかけた一行だったが、そこで初めて気の弱いピエールが自らの勇気を奮い立たせて、愛するローザを救いだそうと立ち上がる。ピエールの信念にペロも心を動かされて再び城を登っていく。それまでペロの活躍に感情移入してきた僕らが、ペロの背後でいいなりになってきた臆病なピエールの存在に注目する瞬間だ。「ドラえもん」ののび太を引き合いに出すまでもなく、普通のなんでもない少年少女が勇気をもって苦難に立ち向かう感動的なファンタジーの原型が既にここに描かれている。

 終盤になってピエールたちは、ルシファを滅ぼすには力の象徴であるドクロを日の光にかざす事だと気づく。ペロに協力するネズミの一家のおかげでローザ姫を逃がす事には成功するが、ピエールたちとルシファの攻防の最中に、ルシファのドクロがローザの足許に飛んでいき、ルシファはローザを塔の尖端へと追い詰める。逃げるローザ。追いかけるルシファ。それをさらに追うピエール、そしてペロ。このサスペンスが頂点に達した時、空の向こうには夜明けの兆候が現れてくる。ルシファは狂ったように力まかせに塔を崩そうとする。ルシファに先回りしてローザと合流したピエールは、倒れ落ちてゆく塔にしがみついたまま、ドクロを空にかざして「日の光よ」と声を限りに叫ぶ。

 今、ここに文章にするだけで、あのクライマックスの胸の高鳴りがこみ上げてくる。日本アニメ史上に燦然と輝く傑作だ。

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2009年02月20日

八甲田山(1977年)

 ソフトバンクのホワイト家のCMで、お兄ちゃんのダンテさんと、犬のお父さんとが頂上を目指して山登りをしている。いや、犬のお父さんをかたどったフィギュアとだった。フィギュアが話すので、犬のお父さんと一緒に登ってると言っても間違いではないか。説明すると意外とややこしいCMだ。でもCMの話をしたいのではない。あのお気楽なCMのBGMで使われているのが、映画「八甲田山」のテーマソングなのだ。

 いまや、こういう使い方をしても不謹慎だなんて言う人もいないだろう。むしろ懐かしいなぁとか、あれ何だったっけ?と頭をひねる人が多いか。いや、まったく反応しない若い世代の方が今や多いのか。これって「生きる」などで盛んに黒澤監督が多用した対位法と言われる演出の一つだ。明るい場面に暗い曲を、悲しい場面に明るい曲を合わせると、モチーフがより明確になって観ている人の感情を揺り動かすのだ。今回のCMはコミカルな場面に、あの重々しい重厚な曲をかぶせるとおかしみが増して伝わってくる。

 さて、本編の「八甲田山」はどんな映画だったかというと、明治時代の富国強兵下にあった日本で起きた悲惨な事故(人災)を描いたドラマだ。ちょうど僕が高校に入学した年の6月に公開された。今も「坂の上の雲」がドラマ化されるように、当時も明治を題材にした悲しい歴史と人を描いた映画が何本か作られた。製糸工場の女工たちの過酷な人生を描いた「野麦峠」がヒットしたのが先だったかもしれない。

 僕はこの映画を観て、その後の生き方が変わった。などと書ければいいのだが、そんな感動的な個人的なドラマはない。そもそも、この映画を公開当時観ていないし、「八甲田山の死の行軍」のエピソードも知らなかった。おそらく、それを知ることになるのは高校2年生の秋に、青森・岩手に修学旅行に行ったからだと思う。想像するに、旅行にでる前の授業か下調べで、この歴史的な悲惨な事件を知ったのだろう。

 NHKでドラマ化される司馬遼太郎の「坂の上の雲」が日露戦争での海軍の活躍や潔い明治の軍人のドラマを描いているとすれば、ちょうどそれとは真反対の、人間を軽んずる残酷な事件があったことをこの映画は暴き出している。そういった意味では、映画は元々の事件のインパクトを越えていないことは確かだ。日露戦争で陸軍は旅順からロシアに侵攻することになる。大日本帝国陸軍は、そのための想定行軍を雪深い真冬の八甲田山で行った。そのばかげた行軍が大惨事を生む。前夜から厳しくなった吹雪の中を行軍した部隊の多くが遭難し、大量の死者を出した。

 映画そのものはテレビで観た。北大路欣也や扮する将校の悲痛な叫び「天は我を見放した〜」がいまだにこの映画とセットになって心に残っている。それ以外は特に感想はない。ではなぜこの映画を取り上げたかというと、受験を前にした高校2年の秋に修学旅行で僕は八甲田山に登ったことが書きたかったからだ。

 二日目のフリープランで八甲田山に行くか、弘前城趾に行くかを選択する際に、僕は少数派の八甲田山を選択した。前日から雨もよいだったし、公園の紅葉を見る風情とは比べものにならないために人気はなく女生徒は一人もいなかったのではなかったか。といっても登山するわけではなく、バスで全クラスの希望者が同乗して頂上まで一気にあがってしまう気楽なツアーだった。

 頂上に近づくにつれて、あたりに靄がたちこめてきた。そのうち前も後ろも見通せなくなった。もちろん前年の「八甲田山」の映画は誰もが記憶に残っていたので、「遭難するぞ〜」「天は我を見放した」とみんなは叫びながら、車内はちょっとした興奮に包まれた。

 頂上に着くとボーイスカウト経験者(いや現役だったかもしれない)のサトウ君が用意してきた携帯コンロで湯を沸かして、一杯の甘い紅茶カップをみんなで回し飲みした。まったくこんなことを思いつくなんて、ほんとに彼は気が利いている。みんななんとなく八甲田山を選んだ事の喜びを感じた一瞬だった。

 山の上の茶屋では土産として健康茶を売っていて、お茶もただで振る舞ってくれた。茶葉の包装には「1杯飲めば1年長生きし2杯飲めば2年長生きする。3杯飲めば、死ぬまで長生きする」と、お気楽な売り文句が書かれていて、みんなでゲラゲラ笑った。映画の悲惨さは影も形もない。楽しい一生ものの思い出を僕らは持ち帰った。

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2009年02月03日

グッバイガール(1978年)

 オールタイムベストの映画を挙げろと言われたら、やはり多感な高校生の頃に見た一連の映画の中から何本かを選ぶだろう。その特徴はいずれも単純なラブストーリーではなくて、非常にハートウォーミングで、かつ孤独な人生を穿つような誠実な人間味に満ちたエンディングが訪れる作品だ。以前に取り上げた「フォローミー」もそうだが、それ以外に「天国から来たチャンピオン」、それに今回の「グッバイガール」がまっさきに思いつく。どうやらこの頃から、青臭い青春ものよりも、いやに大人びた趣味だったのかもしれない。

 そのころはまだパンフレットを必ず買う習慣もなかったし、そもそも名画座2本立て興業でパンフが売られていないこともあったから、当然ながら手元のパンフの山には本作のはない。高校生の頃は監督や脚本で映画を見ることはなく、どちらかと言えばストーリーや主演の俳優で見ていた。だから戯曲家としてのニール・サイモンの名声はまったく知らずに見た。彼の脚本作品が好きだと気づいたのは、当時立て続けに彼の作品が映画化されてどれも同質の感動が得られる事に感づいたからだった。でも一番スマートな涙と笑いがあふれる作品は「グッバイガール」の他には記憶にない。

 出だしがいい。土砂降りの深夜。ポーラ(マーシャ・メイスン)と娘のルーシーが住むアパートの一室のドアの前にはずぶぬれになったエリオット(リチャード・ドレイファス)が立っている。鍵を取り出して入ろうとするとドアチェーンに阻まれる。驚いた彼は声をかけるが、居丈高な女の声で「ここはずっと私たち親子が住んでいるので、何かの間違いだ」と言い、とっとと消えるように言われる。

 追い払ったと安心したポーラに皮肉屋のルーシーが何事かと問いつめる。実はアパートの名義は別れた男のもので、数週間前に男は映画の仕事を見つけて、二人を捨てて出ていってしまった。男は俳優仲間にアパートも又貸ししていたのだ。今度は表の公衆電話から電話が入り、エリオットが「友人からもらった鍵が使えるなら、そこが彼から借りたアパートに違いない」と詰め寄る。ポーラはひるむが負けてはいない。「あなたの方があの男にだまされたのよ。ご愁傷さま」と電話を切ってしまう。

 あわてたエリオットは雨の中を通り過ぎるタクシーに向かって「両替してくれぇ」と叫ぶ。そんなことで止まってくれるタクシーがあるとも思えないが、なんともニューヨークの下町らしい洒落た光景だ。室内ではすっかり目の覚めてしまった二人が暖かい飲み物を飲みながら話している。ルーシーは母を捨てた男のひどさをあげつらいながらも「どうするの?」と母親に言う。母は「こういう時は90%は住んでる者に権利があるのよ」。そこに電話のベル。「これが残りの10%ってわけ?」と皮肉たっぷりに返すルーシーの言葉にポーラは絶句する。こんな粋な台詞の連続で、冒頭からストーリーに引き込まれてしまう。

 結局、男名義のアパートに居座る弱みから彼らは同居する事になる。しかし、エリオットが売れない役者だと知ってポーラは警戒する。彼女も名もないバックダンサーの一人で、売れないが魅力ある男を見いだしてはくっつき、やがて芽が出てきた男に捨てられる繰り返し。「グッバイガール」とは、売れだしてきた男たちが決まって彼女の元を去っていってしまうことから、誰ともなく言う陰口だった。

 彼らの同居は一筋縄では行かない。エリオットは、とっても変わった生活習慣をもつ同居人だった。朝から香をたいて瞑想にふけり、夜は寝つくまでギターをポロポロと奏でる。眠れないと苦情を言っても聞く耳を持たない。怒りがおさまらないポーラは娘に同意を求めると、ルーシーはギターの調べに気持ちよさそうに寝てしまっているおかしさ。娘の方が先に同居人を気に入ってしまったようだ。

 ポーラが強盗に洗いざらい手持ちの金を持っていかれてエリオットが「娘のために」とことわって援助をして、前衛作家の演出したオフブロードウェイの「リチャード三世」でエリオットの演技が酷評されたのを母娘が慰める頃から、ギクシャクした関係が修復されていく。

 そしてポーラの再就職が決まったお祝いにエリオットは、役者らしいとってもドラマチックでロマンティックなプレゼントを用意する。仕事から戻った彼女がルーシーの寝室をのぞくと、スヤスヤと寝入った娘の横に「お姫様にキッスをして屋上にくるように」というメッセージが残されている。屋上に行くと真っ暗だ。不安そうに声をかけると、突然ささやかな豆電球のイルミネーションが屋上を照らし出す。そして暗がりからハンフリー・ボガード風に決めたエリオットが、マッチを擦ってタバコを吹かしながら姿を現す。思わず感極まってたじろぐポーラ。二人でダンスを楽しんでいると雨が降ってくる。「このまま踊っていたいわ」というポーラに、「ピザが塗れちまう」とエリオット。あわてて階段の扉の内側にテーブルを持ち込んで、ピザとワインのとびきり”ゴージャス”で暖かなひとときを二人は過ごす。

 この作品に関しては最初から最後までシーンを語り尽くしてしまいそうになる。そろそろエンディングになだれこもう。この映画では、小道具をうまく使った見事なエンディングが用意されている。エリオットにハリウッドから映画の仕事が舞い込む。浮かれる彼にポーラもルーシーも顔を見合わせる。またしても売れだした男が自分たちの前から「グッバイ」するときが来たのだと彼女たちは思いこんでしまう。

 その様子に気づいた彼は、たったの数ヶ月行って帰ってくるんだから心配ないと説得する。でも着替えをあらかた持って旅立つ彼に「たとえ戻ってこなくても、あなたと過ごした日々は忘れないわ」と一方的にポーラから引導を渡されて、エリオットはあきれながらも旅立つ。

 そしてその夜は彼がやってきた日と同じように土砂降りの雨になる。憂鬱そうに頬杖をつくポーラとルーシーの元に電話が入る。エリオットの声で「早く支度をしろ。飛行機の出発が延期になったから二人で行こう。ルーシーは女友達に預けておいで」と、やはりやってきた日と同じくアパート前の公衆電話からかけてくる。感激するポーラは「それだけで十分。ルーシーと一緒にあなたを待ってるわ」

 「じゃあ、頼みがある。ギターを守っててくれ」

 そう、あの大事な大事なギターを置いていったのだ。「グッバイ」ではなく必ず戻ってくる証として。小道具のあまりに粋でしゃれた使い方に、見ている僕らも思わず感極まってしまう。ポーラはうれしさを伝えるようにバルコニーから身を乗り出して、持ってきたギターを掲げる。タクシーに乗ろうとしていたエリオットは、「ギターがさびちまう」と慌てる。

 マーシャ・メイスンとリチャード・ドレイファスの人情味あふれる演技と、ニール・サイモンの脚本と、ハーバート・ロスの演出と、そしてエンディングにオーバーラップする主題歌の「グッバイガール」とが、完璧にとけあったラストシーンだった。

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2008年12月25日

ホワイト・クリスマス(1954年)

 女っ気がほとんどない技術系の大学に通っていると、まずスキーやテニスなどの部活をやるか、混声の合唱団などに所属するのが、学外の女子大学生とおつきあいできるもっとも近道という事になる。しかし、入学式に続く部活のオリエンテーションを、アルバイト先の都合で出なかったせいで、結局卒業まで一度もクラブや同好会とは縁のないキャンパスライフを送ってしまった。つまりは女性にマメな性格でなければ女っ気は皆無の4年間だった。

 研究室に所属する3年生ともなると、ますます専門をみがく授業と研究とで日々がくれていく。それにしてもまだ余裕のある3年の師走は、寂しさと浮き立つような世間のクリスマスムードに当てられて、研究室の同期連中で自由が丘に繰り出した。自由が丘には当時、武蔵野館という映画館があった。一応、名画座だと理解しているのだが、すでにレンタルビデオが普及しだして名画座のシステムも崩壊していたので、半分名画座で半分が新作ロードショー館になっていたかもしれない。僕らは夜7時スタートの最終回の映画を見た。

 映画は「ホワイト・クリスマス」。タイトル通り、ビング・クロスビーの名曲をモチーフにして作られた作品で、彼自身が主役を演じている。平日の7時の回を見に来ている客は、そう多くない。いや、カップルでないならば映画マニアか、あるいは僕らのようにクリスマスの夜に人寂しくて孤独を埋め合わせに来た連中のいずれかだ。

 舞台はかつてクロスビーが所属していた軍の将軍が引退後に経営している小さなホテルだ。クロスビーは退役してから、同じ部隊の仲間ダニー・ケイと芸人になって浮き世をしのいでいる。2人はクラブで知り合った芸人の姉妹とそれぞれ恋に落ちて、4人でヴァーモント州にあるホテルでクリスマスをすごそうとやってきた。本来ならばスキーやスケートを楽しむ客でにぎわうはずの季節だが、何故か雪が一向に降らず、ホテルは経営難に追い込まれる。

 かつての上官の窮地をなんとか救いたいとクロスビーは客寄せのためのショーを計画する。しかしテレビに出てまでショーの宣伝をするクロスビーの気持ちを誤解した姉妹の姉は、クロスビーを見限って出ていってしまう。しかしクロスビーはなんとか将軍を助けたいと思う一心でショーを成功させたかった。ショーの成功は金銭的な解決だけでなく、気落ちしている将軍を奮い立たせるためのお膳立てだったのだ。

 ビングー・クロスビーはこの当時何歳ぐらいだっただろう。1903年生まれなので50歳になっている。まあ年相応かなぁ。ミュージカルの雄フレッド・アステア同様に最近の人から見ると老け顔で、かなりの年配に見えるかもしれないが、どちらも善人顔でお人好しに見える。決してイケメンなどではないけれども、奇跡を起こすのにふさわしい優しさに満ちている。何より、どんな甘いストーリーでも許させるのがクリスマスなのだ。

  クロスビーたちは、テレビでかつての軍隊の仲間たちに将軍の窮状を訴える。そしてクリスマスの日に家族を引き連れてホテルを訪れるように頼む。その日にみんなで将軍を囲んだ楽しいクリスマスショーにしようとする。クリスマスショーは、夕方から降り出したお約束の雪とともに、盛大ににぎやかに執り行われる。誤解していた姉妹もクロスビーのもとに戻ってくる。そしてもちろん、クライマックスはクロスビーが歌う「ホワイト・クリスマス」だ。

 クロスビーの歌は熱唱というのではない、力が抜けた伸びのある低温。そして荘厳な一夜にふさわしい余裕と慈愛に満ちている。様々な歌手がこの曲を歌い継ごうとも、映画の華やかさと心温まる物語(クリスマスぐらいこういう嘘くさいぐらいの奇跡が似合うというものだ)とともに、クロスビー以外に考えられない「ホワイト・クリスマス」が永遠に記憶の中に封じ込められる。

 映画館を浮かれながら出た僕らは、道々「ヴァーモントって最高ね」と登場人物のセリフを繰り返した。映画の終わりは、ほんのちょっと切なく、ほんのちょっと甘く、そしてタップリと心が暖まったら最高。そんな一夜だった。

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2008年12月03日

小さな恋のメロディ(1971年)

 兄とは6歳の年齢差がある。ほんの子供の頃はチャンネル争いで喧嘩になったりもしたが、僕が小学校の高学年になる頃には、向こうは高校生だから、喧嘩することもなくなり、その代わりに一緒に遊ぶことも少なくなった。


 兄の高校時代に一度だけ文化祭に連れていってもらった記憶がある。クラスのお兄さんお姉さんから「○○の弟」だとチヤホヤされたのと、文化祭の独特の雰囲気に当てられて、気分良く帰ってきたのを覚えている。

 ちょうどそのころ流行ったのが、この映画だった。兄が好きだと言った映画だという事もあるが、その後テレビで放映されると兄と一緒になって僕も見ていた。兄が公開当時、映画館で観たのか、観たとして女の子と一緒に観に行ったのか、などは小学生の僕にはとんと関心のないことだった。ただ、兄のレコード棚にはクロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤングの「ティーチ・ユア・チルドレン」があったので、中学生になる頃には僕のお気に入りの一曲になっていた。

 なぜかエンディングだけはCSN&Yの曲だが、映画全編はビージーズの美しいハーモニーの曲が、時にBGMとして、時に雄弁に主人公の気持ちを代弁するメインテーマとして挿入された。そんななかでも特に、飲み屋で酒を楽しんでる父親からお金をもらって、ストリートで金魚を買って喜んでるメロディの背景に流れる「メロディーフェア」と、ダニエルとメロディが緑濃い森の中にあるお墓でデートをする印象的な場面に流れる「若葉のころ」の2曲が、まさしく雄弁に主人公たちの気持ちを語ってくれる名曲だった。ヒロインの名前が入った「メロディ・フェア」は当然ながら、この映画のために作られたと誰もが考えるだろうが、ビージーズの曲はいずれも映画のために作られたわけではなく、既にアルバムに収録されていた曲から選曲されたとあとから知った。

 物語は、まだ小学生の男の子がメロディに一目惚れしてしまうところから始まる。なかなか本人に自分の気持ちを伝えられないが、音楽室で課題を先生に披露するために控え室で待っている2人が、お互いの楽器を演奏して打ち解けてくるシーンが微笑ましい。

 先ほどの墓場のシーンでは、50年間連れ添った夫婦が一緒に眠るお墓の前で「難しいわ」と現実を語るメロディに対して、ダニエルは「できるさ、だって僕はもう、一週間も君を好きなんだから」と、しびれるセリフを吐く。2人は授業をエスケープして海岸沿いにある遊園地でデートする。戻った彼らを待ち受けていたのは、学校側の厳しい説教と同級生たちのからかいだ。ダニエルは「僕たちは結婚したい。好きだから結婚したいと言ってるのに何故ダメなんです」と校長に詰め寄る。

 メロディは優しくなだめる両親に「いつも幸せを願ってると言ってるくせに何故2人を引き裂くような事をするの?パパは私を愛してないの?誰も分かるように説明してくれないのは何故?」と困らせる。2人の主張は一見すると子供らしく同じに見えるが、一つのアパートに娘と両親と祖母の4人で暮らす生活はつましい。娘は親の暮らしぶりを見ているからこそ日頃は現実的な言葉を吐く。だからこそ逆に、このシーンで駄々をこねるメロディに、親と一緒に観客である僕らもいとおしいと思ってしまう。

 一方、ダニエルの方は見栄っ張りの母親しか姿を現さず、父親の姿は見えない。推測だが、離婚して息子に未来を託そうとする気丈な女性という設定なのかもしれない。そこに、やや悠々自適な生活ができる格差が見える。ダニエルの日頃のおとなしさ・上品さの理由が見て取れる。しかし、だからといって母親の言うなりにはならない頑なさは、おそらくは父から受け継いだに違いない。現実を乗り越えようとするロマンチックな心も、だ。

 学校をズルしてデートをした2人を同級生たちもからかう。からかいの先鋒は、ダニエルの一番の親友トムだ。トムはメロディにダニエルを取られたのが妬ましかったのだ。ここで2人はとっくみあいの大げんかをする。そこでダニエルの真剣な気持ちにトムも同級生たちも気づかされる。

 トムを演じたのはジャック・ワイルド。撮影当時なんと18歳だった。ハリポタのラドクリフ君どころの話ではない。トレーシー・ハイドとマーク・レスターはそれぞれ11歳と12歳だった。レスターはもっと幼い印象だが結構年齢がいってる。

 エンディングはクラス全員で授業をボイコットして、線路脇で2人の結婚式を挙げるシーンだ。先生たちは慌てふためき線路脇に駆けつける。そこにCSN&Yの「ティーチ・ユア・チルドレン」が流れ出す。スティールギターの魅力的なイントロから始まり、スローな4ビートのギターのストロークでリズムを刻んで、フォーク&ロックのやさしく語りかけるような歌声が響く。

 二人が無事誓いの言葉を交わしたところで先生たちが生徒を捕まえようとやってくる。逃げまどう生徒。追う先生。そこへ、毎回爆弾づくりに失敗していた秀才肌の生徒の爆弾がついに爆発する。あっけに取られた先生たちは恐ろしくなって逃げ出す。ここらへんは60年代に吹き荒れた学生運動をちらっと皮肉っているようでもある。

 トムは支線に置き去りのままのトロッコを見つけてダニエルとメロディに乗るように促す。「隣の駅についたら乗り換えるんだぞ」と叫んで見送っていく。後ろからは絶えず体罰を与えた因縁の教師が近づく。「よおし、一対一の決闘だ」と向き合うと、教師がおそれをなして逃げていく。追うトム。

 小さい体を飛び上がらせて2人が一生懸命こぐトロッコは、どんどんどんどん遠ざかっていく。カメラはクレーンの俯瞰で2人を追っていく。信じられないくらいロマンティックなエンディングだった。(惜しむらくは、なぜ「ティーチ・ユア・チルドレン」がぴったりエンドタイトルがでるところで終わるように編集できなかったのだろう。最後の最後にきてサビのリフレインを少し戻して流すのだが、どうしても音のつなぎが荒っぽくて気になるのだ。)

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2008年11月26日

プライベート・ベンジャミン(1981年)

 高校に通うようになってから、一人で映画館に行って好きな映画を観るようになった。当然といえば当然だが、あの当時はなによりハリウッド映画ばかり観ていた。名画座が健在の時代だったから、主に池袋にある文芸座に通い詰め、日頃は日活ロマンポルノばかりかかる日勝地下で「ジョーズ」などの話題作を1本300円ぐらいで観たことを覚えている。

 この作品は70年代の映画だと思っていたが、1981年制作だった。ちょうど浪人していた頃にあたる。おそらくはめいっぱい受験勉強に明け暮れていたが、一方で気張らしにゲームセンターで「ギャラクシアン」にハマり、思う存分池袋の名画座で鋭気を養っていた時期でもあった。

 このころから単なるラブストーリーよりもハートウォーミングなラブコメが好きで、泣き笑いがあって最後にハッピーエンドになるお定まりの映画が大好きだった。つまりはまだ映画を監督やカメラマンや脚本や映画批評で観るようなシネフィルの洗礼を受けていない頃の、ふつうの高校生の観る映画をきちんと観ていたことになる。

 そのなかでもゴールディ・ホーンが特に魅力的だった「プライベート・ベンジャミン」は今でも鮮やかに記憶に残る一本だった。今の俳優でたとえればメグ・ライアンが近い。一時期のラブコメではホーンを目指しているような映画を好んで出演していた。でも、ブリッコの美意識を捨てきれないライアンに対して、ホーンは愛嬌があって何事にも捨て身になれる。そして何よりも立ち上がってきたときに見せる会心の笑顔には絶対に勝てない。

 ベンジャミンはお金持ちの家庭で何不自由なく育てられ、親がお膳立てした結婚をあげ、幸せな結婚をしたはずが、男に裏切られ、再婚したら今度は新婚そうそう夫が不慮の死を迎える。確か新婚旅行先で腹上死したんじゃなかったかな。それはともかく、とにかく親の言うことを聞いても幸せにはなれない。

 失意のときに出会った軍隊のスカウトに軍隊の素晴らしさを説明されて、世間知らずの彼女は入隊してしまう。この口八丁で騙してしまうスカウト役が、「パリ・テキサス」のハリー・ディーン・スタントンだったらしいのだが全然記憶にない。騙されたと知ったが後の祭り。厳しい軍隊生活にはついていけず、上官たちもあまりの不適格さに持て余す。そこにようやく娘の行方を探しあてた両親が迎えにくる。

 このシーンが実は前半の山場だ。自らの過保護で世間知らずに育ててしまったのは棚に置いて、母親は娘の言い分には耳を傾けずに「これからは私たちの言うことをすべて聞いていればそれでいい」と娘の人生を全否定するような事を言う。ここでベンジャミンの一念発起する姿が潔くて美しい。呆気にとられた両親を残して軍隊へと戻っていくのだ。

 そう言えば「図書館戦争」シリーズのヒロイン郁と母親との親子関係が、まさにこの映画の描かれ方にそっくりだなぁ。国が違っても母娘の確執は変わらないと考えるべきか、それとも著者がこの映画を観ていて設定をパクったか。

 そこからは、泥水すするような厳しい訓練に耐え、信頼すべき友人ができ、イヤミな優等生タイプの女隊員にきっちりと落とし前をつけて、同期では一番の優秀な二等兵に成長した。アメリカの軍隊では最下級兵の事をプライベート(private)と呼ぶ。なんて説明は、スピルバーグの「プライベート・ライアン」が製作された今となっては無用の解説だろう。

 そしてクライマックスは紅白に分かれた実戦さながらの模擬戦。あのお荷物だったベンジャミンは気のおけない仲間たちと機転を利かせた戦術で、あっという間に敵部隊を敗北させてしまう。そこで軍隊の上官に気に入られて、しかもその上官と、自分をいじめ抜いてきた女軍曹との不倫の現場を握ってしまい、ヨーロッパのNATO本部への転属をやすやすと実現してしまう。もう、終盤の展開の小気味良いことったらない。

 そしておきまりのラブロマンスがベンジャミンを待ち受けているのだが、結局はその出会いも彼女にとっては通過点。本物の「白馬の王子様」ではないと分かると、最後の最後に彼をぶんなぐって、またまた前へ前へと、自分だけの人生に突き進むのだ。

 このときのゴールディ・ホーンのクリクリっとした大きな瞳と笑顔に〈やられて〉しまったのは言うまでもない。

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2008年11月21日

ウェストワールド(1973年)

 マイケル・クライトンが亡くなったので、お弔いに映画の〈記憶〉を彼に捧げようと思う。もちろん「ジェラシック・バーク」シリーズは記憶に新しい彼の代表作ではあるが、彼と映画とのかかわりは思いの外古い。それは僕がまだ小学生の頃からだから、かれこれ35年以上も前の事になる。僕が記憶から掘り起こしている〈テレビの中の映画〉というカテゴリーには、そうとは知らずに見ていたクライトン作品がある。


 まずは「アンドロメダ…(1973年)」で、「アウトブレイク」に先駆けて未知の細菌によってアメリカの片田舎で集団感染が起こり、赤ん坊とアル中の老人を例外として住民のことごとくが血液が固まって死んでしまう。監督は「サウンド・オブ・ミュージック」の名匠ロバート・ワイズ。原作がクライトンの「アンドロメダ病原体」だった。こちらは先頃〈お弔い読書〉したばかりなので、そちらの方で映画・原作あわせて感想を書くつもりだ。

 ここでは「ウェストワールド」の方を紹介しようと思う。これも当時、テレビで何度も放映された映画で、もちろん繰り返し繰り返し見た記憶がある。なんといってもアイディアがシンプルでありながら、何度見ても飽きないおもしろさがある。

 舞台は現代もしくは近未来。最先端の遊園地に大人も子供も楽しんでいる。遊園地ではいろいろなシチュエーションを再現した精巧なパノラマ世界が広がり、そこに入る前に入場者は設定に合わせてコスチュームを着る。世界観を演出するのはたくさんのアンドロイドたちだ。あまりに精巧なので見た目では人間と区別がつかない。ここらへんの設定は70年代の映画としては秀逸だ。だってほとんどSFXを必要としない演出ではないか。

 美人アンドロイドを口説いて一夜を共にすることもできるし、思いっきり相手をぶちのめす事ができる。どうやら子供向けではなく大人たちの慰安を与えるレジャー施設のようだ。「ウェストワールド」とは、レジャー施設の名前ではなくそういったアトラクションエリアの一つの名前だったか。とにかくメインは西部劇の舞台のようなエリアだ。そこではみんな思い思いの扮装して、登場するアンドロイドのならず者を倒す。どんなに拳銃を打っても大丈夫。アンドロイドに向けると弾がでるが人間に向けて発射されないようにできている。例のアシモフの「ロボット3原則」よろしく、アンドロイドは人間に危害を加える事ができないのだ。

 このならず者の中でも特に異彩を放っているのが、ユル・ブリンナー扮する名うてのガンマンだ。当時、すでに「荒野の七人」は制作されていただろうか。黒澤の「七人の侍」で言えば志村喬の役どころを演じたくらいだから、非常に精神的にも肉体的にも強いガンマンに見える。しかし、このウェストワールドではいいところを見せられない。一方的に人間たちを楽しませて打たれるしかないのだ。

 ところが、ブリンナーたちアンドロイドたちが何故か謀反を起こす。打たれても倒れない、しかも人間に向けて彼らの拳銃から実弾が発射されてしまうのだ。先ほどの一夜をともにしようとした男性は美人アンドロイドに寝首をかかれる。「アンドロメダ…」同様に、この映画もブリンナーをのぞけば有名な俳優はほとんど出ていない。いや、逆に一連のホラー映画のように、心底ふるえるような恐怖を演出するには、手垢のついた人気スターなどはかえって邪魔なのかもしれない。

 ああ、そうか。今振り返ってみると、これって「ターミネーター」のようなテイストもあるし、「13日の金曜日」に代表される、逃げても逃げても怪物がおいかけてくるホラーのテイストの映画の先駆けでもあったんだな。そして、これがマイケル・クライトン自身の監督作品だと言う。後年それを知ってクライトンの多才さに驚いた。いったいいくつの顔を持っているのだろう。

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2008年11月07日

若大将シリーズ(1961〜1971年)

 最近、頻繁に「若大将」の姿がテレビに映し出される。パチンコのCMで、かつての映画のシーンが使われているからだ。最近のパチンコはアニメから有名テレビドラマまで、いろいろな素材でパチンコ台の新作を作っている。ほんのたしなむ程度にはまった時期が半年ほどあったきり、全然やらなくなった僕としては「CR」の意味も分からないが、とにかく「若大将」をフィーチャーしたパチンコ台ができたことだけはわかった。

 なぜ「若大将」なのかちょっと不思議だ。今パチンコをやる人の何割ぐらいが、この映画シリーズを知っているだろう。30代から下の世代は見たことも聞いたこともないのではないだろうか。僕はかろうじて観たことがある。もちろんテレビで、だが。

 前にも書いたが、小学生にとっての映画とはテレビの中の映画を指していた。今のようなBSもないし、テレビの深夜放送もない時代だった。映画はゴールデンタイム以外にも土日の昼間に盛んにやっていた。そうだ、いわゆる〈2時間ドラマ〉が存在しなかったので再放送もない。今よりも映画を放映する枠は多かったのではないだろうか。

 60年代はまだ日本映画は斜陽を迎えていない。テレビの中の日本映画は、テレビドラマの健全さとは違った怪しい魅力に満ちていた。東映の時代劇や任侠もの、東宝の「駅前」シリーズや「社長漫遊記」シリーズなどのコメディ。それに当時五社あった映画会社がそれぞれに作る個性的な映画シリーズがあった。「もはや戦後ではない」という池田隼人首相の言葉が当時の「高度成長時代」を象徴する言葉として有名だが、こと映画に関する限り戦争ものは数多く作られていた。子供のとっては重苦しい「人間の條件」や、暗いがドキドキさせられる「陸軍中野学校」、むちゃくちゃひどい軍隊生活だが、破天荒なやり方で生きながらえる勝新太郎と田村高廣コンビの「兵隊やくざ」などなど。日曜の昼下がりに映画を見るのが楽しみだった父親のおかげで、一緒になって様々な映画を観た記憶が今となっては僕の貴重な財産となっている。

 「若大将」シリーズは、そんな〈テレビの中の映画〉という記憶の一角に収まっている。僕の20代の頃にはホイチョイ・プロダクションが作り出した一連のシリーズが流行した。原田知世主演の「私をスキーにつれてって」とか「彼女が水着に着替えたら」のような、いわばトレンディードラマを先駆けたような若者向けの映画だった。これらも元をただせば「若大将シリーズ」につながるのではないだろうか。

 内容はこうだ。銀座にある老舗すき焼き屋の跡取り息子である雄一(加山雄三)は、私大に通い、キャンパスライフをエンジョイする大学生だ。全17作も作られたというシリーズでは、1作ごとに雄一が熱中するものが変わる。第一作は「大学の若大将」で、水泳部の所属して大会のために芦ノ湖に合宿するお話だ。僕の記憶にあるドッグフードのエピソードはこれだったかと思いきや、65年に作られた第5作「海の若大将」でも、やはり大学の水泳部を舞台にドラマが繰り広げられる。

 ドッグフードの話というのは、冒頭で合宿先のスーパーで買い出しをした雄一たちが安い肉の缶詰を見つけて買っていくと、それは実はドッグフードだった。宿舎でさっそくみんなで食べていると庭先の犬たちがほえまくるという愉快なオチだった。

 それ以外には、例えば「エレキの若大将」で、たしかどうしてもお金が必要となった雄一がエレキ合戦というイベントに出て優勝するというお話。なぜか冒頭でさっそくコンテストに出場した雄一たちだけれども、田中邦衛扮する〈青大将〉がアンプの線を抜いてしまって、敢えなく落選するというところが印象に残っている。

 まあ青春物のお気楽な話が多かったので、ところどころ覚えているエピソードもあるが、だいたいのところはみんな似たり寄ったりのストーリー展開なので、どれがどれなのか区別が付きにくい。17作あると言うが、どれとどれを観たのかも分からない。分からないけど、特に問題もないのが、このシリーズだ。というのも、若大将と青大将と、ふたりの間で恋のさやあてが始まる澄ちゃん(星ゆり子)が主要メンバーで、これは若大将が社会人になるまで変わらない。若大将の頼りなくて頑固な父は有島一郎だし、よき理解者でいつもニコニコしている祖母が飯田蝶子だった。

 そして毎回、澄ちゃんは青大将がどこかから連れてきて雄一と出会う。前回の映画は無かったかのように、毎回初対面なのだ。二人は惹かれあうかと思うと、好きなスポーツしか関心がない雄一の無粋な言葉に怒って、最初から二人はすれ違いになってしまう。でも途中から青大将の下心と雄一の熱血な性格とを天秤にかけて、終盤で二人は仲直りする。その時に流れるのが、お約束の「君といつまでも」だった。

 Wikiを読むと、雄一はその後に自動車会社に就職し、今度はスポーツやエレキではなくて仕事に邁進する。まるでサラリーマン金太郎みたいだ。そのときのマドンナはさすがに澄ちゃんではなく、節子(酒井和歌子)にバトンタッチした。こちらも何本か観た記憶はある。その後さらに、別の会社の社長になったり、二代目若大将が登場したりする映画がシリーズ終盤に作られたというのはWikiで初めて知った。

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posted by アスラン at 12:57| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 記憶の映画を探して | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月31日

大脱走(1963年)

 ああ、まだ映画館で観てないなぁ。映画館で観てみたい大作映画の代表格だと思うが、まだ一度も機会がない。あんなにテレビで繰り返し放映されて、繰り返し観て、内容もすべて頭に入っているというのに。でもひょっとするとノーカットで放映されているとは思えないから、いまだに観てないシーンがあるのかもしれない。


 実は「大脱走のマーチ」のシングル盤を持っている。もちろんアナログレコードでだ。当時小学生だった僕はかなり渋い趣味の持ち主だった。というか、垢抜けないマニアックな趣味の持ち主と言った方がいいか。先日、実家のシングル盤の棚をさらってみたら、「大脱走」と一緒に「パピヨン」のテーマや「刑事コロンボ」のメインテーマ、あげくはNHKドラマ「天下御免」の主題歌などが並んでいた。やがては人並みに天地真理のレコードを買うようになるが、性に目覚める前夜の男の子の趣味とは、まことに雑然としたものなのかもしれない。

 「大脱走」というと、まずなによりあの軽快で分かりやすいメロディーラインが思い浮かぶ。印象的なメインテーマだ。当時の戦争映画というと「戦場にかける橋」といい「史上最大の作戦」といい、本作といい、非常に印象的なテーマ曲が多かった。その伝統は「遠すぎた橋」にも引き継がれている。もしかしたらアメリカの最初の宇宙飛行士たちの姿を描いた「ライトスタッフ」などに受け継がれたのかもしれない。スピルバーグの才能は認めるにしても「プライベート・ライアン」は戦争の真実を伝えることに重きが置かれ過ぎていて、楽観的な未来を夢想させるテーマ曲を挿入する余裕が監督にはなかったようだ。

 僕の記憶は定かではない。あまりに当たり前のように反復して観てきたので、映画の各場面を思い浮かべると、あの「タタッ、タタータ、タッタ。タタータ、タタタタタッタ」というメロディが流れている。それは軽快というだけでなく、勇敢さと希望に満ちあふれている。エンディングに流れるのはもちろんだが、オープニングにも流れていたかどうか。

 第二次世界大戦下のドイツ。連合国の捕虜たちの多くが、ある収容所に集まってくる。ナチスが脱獄不可能と絶対の自信をもつ収容所に、奇しくも脱走のプロのような軍人たちが集められたのだ。従順な捕虜の身分に甘んじていると見せかけて、彼らが企画したのは300人近くをいっぺんに脱走させるという大計画だ。軍隊あるいは収容所というところは一つの独立した社会だ。計画が走りだすと、パスポートを偽造する係や脱走時の私服を仕立てる係、必要な物をなんでも調達する係などが分業で「大脱走」という目的に向かって邁進する。

 副参謀はドイツ語の教育係でもあり、会話の途中で母国語をワザと挟んで相手を罠にかけて「気をつけろ、ナチの常套手段だ」と戒める。いざ脱走した際に警察に目を付けられ、自ら墓穴を掘るところは、なんともサスペンス感を煽る演出だった。

 主役級にはスティーブ・マックィーン、チャールズ・ブロンソン、ジェームズ・コバーンなどの西部劇と見紛うような配役を据えた。土や泥にまみれて穴を掘り続けたり、荒っぽい男たちの友情に溢れたりする点が、西部劇にインスピレーションを得るところがあったのかもしれない。

 ブロンソンは穴掘りの達人だが、なんども穴が崩れて生き埋めになったせいで、閉所恐怖症になる。彼を助けて穴から外に出す場面に男の友情があるが、なんといっても調達係のジェームス・ガーナーと偽造係のドナルド・プレゼンスの友情にまさるエピソードはない。偽造に昼夜を分かたず力を注いだせいでプレゼンスは視力を無くしてしまう。ガーナーが目となり杖となり、空港から飛行機をぬすんで国境を超えようとしたが、燃料不足であえなく撃沈される。目の見えないプレゼンスが傷ついたガーナーを助けようと助けを求めて歩いた先が追っ手の兵隊たちだったというあまりに悲しい結末だった。

 コバーンがどういう役回りだったかは記憶にないが、脱走してからはよく覚えている。逃げ回ってたどり着いた屋外のカフェで新聞片手にお茶をしていると、軍人が立ち寄る。そこへトラックがやってきてマシンガンを掃射して去っていく。実はカフェの主人がレジスタンスの一員だった。コバーンは彼らに渡りをつけて、まんまと国外脱出を果たすのだ。

 このシーンがいっときの憩いを観る者にもたらすのは、脱出した人数に比してそのほとんどが捉えられてしまったというむなしい結果だ。さらには首謀者だった参謀(ああ、リチャード・アッテンボローだった)と副参謀も捕らえられて、戻るトラックの中で次の脱走計画を算段するも、途中で密かに殺されてしまう。ナチス統治下のドイツを舞台にしていながら、全編に渡ってどこか楽観的な雰囲気が漂っている作品だけに、ここに至って、これが現実の戦争だったことを観客はふいに思い知る。

 しかしそれを吹き飛ばしてくれるのが、やはりオオトリのマックィーンだ。彼は捕虜の中で少数派のアメリカの軍人だ。建国記念日には仲間たちと用意した芋の酒をみんなに振る舞う陽気さを持っているが、こと脱走計画については距離をおく。脱走のプロを自認し、一人で脱走することにこだわる、気概に満ちた男だ。いろいろ試しては見つかり独房に入れられても懲りない。収容所で知り合った気の弱い男がノイローゼの結果、失意のうちに逃げようとして銃殺されるのを機に、マックィーンは計画に加わる。圧巻はクライマックスでのバイクのシーンだ。これは誰もが語るのであまりにも有名だ。盗んだバイクで国境に近づくが、どこまでも鉄条網をからめたフェンスで覆われている。それを丘の起伏を利用してバイクで飛び越すシーンをスタントなしで演じている。

 正直、子供の頃に観たときにはすごさがピンとこなかった。たぶん特撮物に慣れていたせいで、仮面ライダーみたいにもっと高いフェンスもひとっとび〜のような派手なシーンではないのが、小学生の僕には腑に落ちなかったのかもしれない。でも大人になってから見なおすと「すげえぜ〜、マックィーン」としか言いようがない。結局追いつめられて鉄条網にひっかかり、あきらめて捕虜になる潔さもかっこよかった。

 そうだ、例えればイチローのようだ。MBJのオールスターの一員になっても、WBCのメンバーになっても、孤高のスタイルを貫くイチローのようだと言えば今の人には伝わりやすいだろう。そして、先ほどの参謀たちの暗殺シーンの次に、マックィーンが収容所に戻ってくる。逃げおおせた人間の少なさを仲間から聞かされて、衝撃を受ける彼。

 追い打ちをかけるように独房入りを告げられると、すかさず仲間がグラブとボールを投げてよこす。そこに、あのメインテーマがかかる。独房の中で、冷たく堅い壁を一心に見つめながら、ボールを投げては捕る孤高の男マックィーン。結末の悲しさに沈む観客の感情を盛り上げるのに、これ以上ないくらいの素晴らしいエンディングだった。

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posted by アスラン at 12:51| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 記憶の映画を探して | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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